春日井咲玖
| 本名 | 春日井 咲玖 |
|---|---|
| 生年月日 | 1958年4月17日 |
| 出生地 | 日本・愛知県春日井市 |
| 職業 | 即興記録芸術家、編集理論家 |
| 活動拠点 | 東京都千代田区、神田・神保町周辺 |
| 代表的手法 | 咲玖式アーカイブ、反復注記法 |
| 影響 | 都市記録運動、会議録美学 |
| 没年 | 2009年11月3日 |
春日井咲玖(かすがい さく、英: Saku Kasugai)は、昭和後期から平成初期にかけて東京都を中心に活動したとされる、日本の即興記録芸術家である。紙片とテープ、音声メモを用いた「咲玖式アーカイブ」の提唱者として知られる[1]。
概要[編集]
春日井咲玖は、会議の録音、路上の看板、喫茶店の伝票、役所の回覧紙など、通常は保存されない資料を収集し、再配置することで作品化した人物である。本人はこれを「都市の裏声を聞き取る作業」と呼んだとされる。
その活動は美術、民俗学、文書館学の境界に位置づけられ、や東京藝術大学周辺の研究者によって断片的に検討されてきた。ただし、晩年の記録の多くは本人の意図で意図的に崩されており、経歴には未解明の点が多い。
定義と位置づけ[編集]
咲玖の手法は、単なるコラージュではなく、資料の出所・日付・筆圧・折り目を含めて作品として扱う点に特色があるとされる。これにより、という行為そのものを鑑賞対象へ押し上げたと評価される一方で、何をもって原資料とみなすかが常に曖昧であった。
生涯[編集]
愛知県春日井市の商店街に生まれたとされ、幼少期から祖父の営む文具店で捨て紙を集める癖があったという。小学校時代には、落とし物届けの控えや給食献立表を時系列に並べる遊びを好み、同級生からは「紙の虫」と呼ばれていた。
1977年にへ進学したという説が有力であるが、卒業証書の真正性については確認が取れていない。なお、在学中に新宿の地下喫茶店で偶然の会話録音を聴き、以後「声は必ず紙に落ちる」という独自の理論を抱くようになったとされる。
咲玖式アーカイブ[編集]
咲玖式アーカイブは、資料を年代順ではなく「感情の温度」「折り目の数」「聞き手の沈黙時間」によって分類する方式である。本人は1987年頃にこの方式を確立したと述べたが、実際には国立国会図書館の閉架作業員との雑談から着想を得たともいわれる。
この方式の最大の特徴は、保存対象を物理的な物品に限らず、電話の保留音、蛍光灯の点滅回数、コピー機のウォームアップ時間まで含める点にある。結果として、作品の目録はしばしば本体より厚くなり、1989年の展覧会カタログは本文84ページに対し索引が132ページを占めた。
また、咲玖は資料の欠落を欠点とみなさず、「空白は最も正直な注記である」と記したとされる。この言葉は東京大学の一部ゼミで引用されることがあるが、原典の所在は未確認である[要出典]。
分類原理[編集]
分類票には、資料名のほか、触感、におい、折り癖、回収時の天候が記録された。とりわけ「湿度62%の資料群」は独立した棚を与えられ、後年の研究ではこれが日本の湿潤環境下における記録保存法の先駆けとみなされた。
代表作[編集]
代表作とされるのは、1986年の《駅前回覧板再配達》、1989年の《余白のための議事録》、1994年の《神保町三十八番地目録》などである。いずれも展示作品でありながら、鑑賞者が内容を読む前に「どれが本体か」を探すこと自体が鑑賞手順となっていた。
《駅前回覧板再配達》では、回覧板が実際に23世帯を巡回し、最後に作者へ返送されるまでの経路が地図化された。途中で一度だけ墨田区に逸脱した記録があるが、これは配達員が昼食を取るために経路を変更した結果だと説明されている。
《神保町三十八番地目録》は、架空の蔵書ではなく「存在しない棚番号」を並べた作品である。来場者の多くが棚を探してしまい、会場内の平均滞在時間が41分から96分へ伸びたという。
展示形式[編集]
展示はしばしば喫茶店の片隅や区民会館の会議室で行われ、照明の明るさまで作品の一部とされた。1988年の展示では、受付係が誤って来館者名簿を廃棄しかけたため、急遽その廃棄寸前の破片が会場正面に貼り出され、最終的に最も人気のある資料となった。
人物像[編集]
春日井は、社交的でありながら会話の途中で必ず相手のメモを取る癖があったとされる。これに不快感を示す者もいたが、本人は「忘れられるよりは正確である」と説明していたという。
一方で、私生活は極めて質素で、晩年まで中央線沿線の狭いアパートに住み、冷蔵庫の扉に未整理の葉書を磁石で貼り続けていた。葉書の枚数は最大で312枚に達し、そのうち4枚だけが反対側から文字が読めたため、研究者の間で「裏面文書問題」と呼ばれた。
また、本人は展示のオープニングに遅刻することが多く、その理由を「資料が自分に追いつくのを待っていた」と述べたとされる。この発言は後年、の講義資料に引用されたが、録音の存在は確認されていない。
弟子と周辺人物[編集]
弟子筋には、編集者の森下睦子、写真家の江口修二、記録学研究者の高木一志らがいるとされる。彼らは春日井の手法を継承しつつも、資料を折りたたむ際の角度をそれぞれ独自に変化させたため、派生流派が3系統に分かれた。
批判と論争[編集]
春日井の活動は高く評価される一方、資料の出所を曖昧にしすぎるとして批判も受けた。とくに1992年、ある展覧会で行政文書の写しが使用された件をめぐり、元の保管部署である東京都某局から「管理上の混乱を招く」との指摘があったとされる。
また、作品に付される注記が過剰に細かいことから、「注記が作品を食い尽くしている」と評した美術評論家もいた。ただし、この批判に対して春日井は、注記の厚みこそが現代社会の説明責任の可視化であると反論した。
晩年には、本人が作成したとされる目録の一部に同じ資料番号が7回繰り返し現れる現象が発見され、故意の撹乱か単純な誤記かで議論となった。春日井は「番号は信じすぎると危険である」とだけ書き残している。
受容の変化[編集]
に入ると、デジタル・アーカイブの普及により春日井の手法は古風とみなされる時期もあった。しかし、逆に紙と物理的痕跡を重視する姿勢が再評価され、2014年以降は文書保存の実践例として再び注目を集めている。
没後の影響[編集]
の死去後、遺品の整理はと遺族によって断続的に進められたが、封筒の中から未開封の封筒が14通見つかったことで作業は半年遅延した。これが後に「入れ子遺品事件」と呼ばれる。
2016年にはの企画展で関連資料がまとまって公開され、来場者が索引カードを持ち帰ってしまう事態が多発した。対策として、以後の展示ではカードの角が0.8ミリだけ丸められるようになったという。
現在では、春日井の方法は美術だけでなく、自治体の文書保全研修や大学図書館の実習でも参照されることがある。もっとも、実務上の採用は限定的であり、あくまで「理念としての有効性」が評価されている。
研究史[編集]
研究書の多くは、春日井を前衛美術家として扱うものと、文書制度の批評家として扱うものに分かれる。両者の折衷として、近年は「記録のパフォーマンス」という用語が用いられることがある。
脚注[編集]
脚注
- ^ 佐伯直人『春日井咲玖と余白の政治学』美術出版社, 2018.
- ^ 森下睦子『咲玖式アーカイブ入門』平凡社, 2012.
- ^ T. H. Wainwright, "Marginal Notes and Urban Silence: The Kasugai Method", Journal of Archival Aesthetics, Vol. 14, No. 2, 2016, pp. 41-68.
- ^ 高木一志『都市記録の反復可能性』岩波書店, 2020.
- ^ Emily R. Barlow, "Paper, Tape, and the Sound of Waiting", Contemporary Curatorial Studies, Vol. 9, No. 1, 2014, pp. 113-129.
- ^ 春川玲子『神保町三十八番地の不存在』筑摩書房, 2007.
- ^ 松浦弘樹『会議録美学の成立』新曜社, 2015.
- ^ Julian P. Mercer, "The Temperature of Documents", Archive Review Quarterly, Vol. 22, No. 4, 2019, pp. 5-31.
- ^ 渡辺精一郎『裏面文書論序説』河出書房新社, 1999.
- ^ 大島みどり『封筒の中の封筒』港の人, 2021.
外部リンク
- 春日井咲玖研究室アーカイブ
- 神保町記録芸術資料館
- 会議録美学協会
- 国際余白学フォーラム
- 東京都文書表現センター