本当に完全な完全試合
| 名称 | 本当に完全な完全試合 |
|---|---|
| 英語名 | True Perfect Game |
| 分野 | 野球記録学・競技儀礼 |
| 初出 | 1898年頃(異説あり) |
| 提唱者 | 佐伯兼次郎、M. R. Fulton ほか |
| 中心地 | 東京市下谷区、ミルウォーキー |
| 関連競技 | 野球、速記記録、球場照明検査 |
| 特徴 | 無走者・無失策・無遅延・無異議 |
| 通称 | 真・完全試合 |
本当に完全な完全試合(ほんとうにかんぜんなかんぜんじあい、英: True Perfect Game)は、野球において投手が一人の走者も許さず、さらに試合外のあらゆる不完全さを排除したとされる極端な記録概念である。通常のの上位概念として扱われ、では「完全性の儀礼」とも呼ばれる[1]。
概要[編集]
本当に完全な完全試合は、野球の試合で投手が相手打者を完全に封じるだけでなく、試合進行、記録、審判解釈、観客の反応に至るまで一切の瑕疵がない状態を指すとされる概念である。一般には単なるよりも厳格で、少なくとも「球審の判定に議論が残らないこと」「記録係の鉛筆が一度も折れないこと」「試合後に公式記録へ但し書きが付かないこと」が条件に含まれる[2]。
この概念は明治末期の記録愛好家のあいだで生まれたとされ、のちに東京市との記録交換会を通じて広まった。なお、の内部文書には、1912年の時点で既に「本当に完全な完全試合は理論上は可能だが、記録用紙が湿るため実現は難しい」との記述があるとされるが、出典は未確認である[3]。
成立史[編集]
起源とされる「無瑕記録」運動[編集]
起源については、にの私設野球倶楽部で、記録係のが「勝った試合でも判定に疑いが残れば、真に勝ったとは言えない」と主張したことに求める説が有力である。佐伯は当初、試合そのものではなく記録票の美しさを重視していたが、のちに投手の投球内容へと発想を拡張し、1試合における全事象の零欠陥化を唱えた。
この運動は当時の早稲田大学周辺の学生野球界にも断片的に流入し、審判の笛の長さを秒単位で測る「審判音響検定」が行われたという。もっとも、当時のメモには鉛筆書きで「少しやりすぎ」と追記されており、後世の研究者はこれを事実上の自制のしるしとみなしている。
米国側での再解釈[編集]
一方で頃、のスポーツ記者が、同概念を英訳する際に「perfect」にさらに「true」を付加したことが、現在の名称成立の契機になったとされる。フルトンは地元紙『The Lakeside Athletic Circular』において、四球も失策もない試合は珍しくないが、ベンチの水差しが転倒しない試合こそ本物であると論じた。
この再解釈によって、の判定基準は急速に膨張し、20世紀前半には「捕手のミットの紐が切れないこと」「観客が7回裏に売店へ殺到しないこと」までも評価対象に含まれた。なお、ウィスコンシン州のアマチュア連盟では、1917年の規約改定で「本当に完全な完全試合」を達成した投手には試合球とともに予備の革紐を贈る慣行があったとされる[4]。
制度化と崩壊寸前の標準化[編集]
昭和初期にはの前身組織が、これを半ば冗談のように参考基準へ取り込み、公式記録委員会が「完全性補正係数」を算出するようになった。係数は当初0.98から1.04の間で運用され、球場の風速、記録係の腹具合、審判の眼鏡の曇り具合まで含んだとされる。
ただし、標準化が進むにつれ、基準が増えすぎて誰も達成できなくなったため、1936年の内規では「観念として尊重するが、採点はしない」という扱いに後退した。これにより本当に完全な完全試合は、実績というよりも「記録文化の理想像」として残ることになった。
条件と判定基準[編集]
本当に完全な完全試合の定義は資料ごとに揺れるが、の整理では、少なくとも次の五条件が必要とされる。第一に、投手が一人の走者も出さないこと。第二に、守備陣に失策がないこと。第三に、球場設備に軽微な異常が起きないこと。第四に、記録担当者が最終欄に注釈を残さないこと。第五に、試合後の新聞見出しが誤植を含まないことである。
このうち第五条件は特に難度が高く、朝日新聞の縮刷版調査では、1910年代から1950年代にかけて完全試合級の試合が報じられた際、見出しのいずれかに「完壁」「完投試合」などの揺れが平均1.7回生じていたとされる。なお、東京ドーム以前の屋外球場では、風でスコアボードの紙片が飛ぶことも失格理由に数えられたという。
著名な達成例[編集]
1916年の三河島記録試合[編集]
最初に「本当に完全な完全試合」に近いものとして言及されるのは、にで行われた対戦である。投手のは無走者無失点に抑えたうえ、試合中に帽子が風で飛ばなかったことから記録係に高く評価された。
しかし、試合後にスコアブックの余白へ審判の署名が一度はみ出していたため、長らく「準完全」とされてきた。1993年の再検証で、実際には余白ではなく紙の繊維だったと判明したが、研究者の間では今なお議論がある。
1932年の神宮外苑「雨なし」試合[編集]
1932年の神宮外苑では、の記録会で、の投手が9回を無失点に抑えた試合が「真の完全性」をめぐって語り継がれている。試合当日は前夜からの降雨予報が外れ、球審が「空の不機嫌が収まった」と記したことで、気象条件まで完璧だった例として引用される。
もっとも、七回裏終了時に売り子が一度だけ「いかがですか」と声を上げたため、厳密には満点ではないという意見もある。これに対し、同時代のファンは「声は試合外の音であり、むしろ球場の沈黙が完全だった」と反論した。
1964年のミルウォーキー記念日試合[編集]
にはので、の左腕が、公式上は完全試合ながら「本当に完全な完全試合」認定を受けた。理由は、試合前の国歌演奏に用いられたトランペットが一度も裏返らなかったためである。
この試合を契機に、米国の記録学界では「プレーの完全性」と「イベントの完全性」を分けて考える流儀が浸透した。以後、達成例の評価には球審の表情、観客席のザワつき、アイスクリーム販売数まで勘案されることになった[5]。
社会的影響[編集]
本当に完全な完全試合の思想は、野球界にとどまらず、事務文化や教育現場にも影響したとされる。たとえば大正期の学校では、清書の乱れを嫌う教師が「完全試合の原稿」と称して、答案用紙に消し跡がないことを求めたという。
また、では一時期、文書の回覧で紙綴じの角度を0.5度以内に収める「完全性管理」が流行し、農商務省の外局では「本当に完全な決裁」という俗語が生まれた。もっとも、これは行政の能率向上というより、係長が試合速報に熱中していた副産物とみられている。
さらに、球場文化にも独特の副作用があり、完全性への執着から、雨天中止を「試合の欠陥ではなく宇宙の調律」と説明するファンが現れた。こうした態度は一部の記者に高く評価された一方、現場の審判からは「理屈が多すぎる」と嫌われた。
批判と論争[編集]
この概念に対する最大の批判は、条件が増えすぎることで本来の野球から遊離する点にある。特に1958年の大阪のシンポジウムでは、のが「完全試合は9回をゼロで終えるだけで十分であり、紙の角まで問うのは記録の宗教化である」と発言し、会場が一時ざわついた。
一方で擁護派は、スポーツ記録が数値だけではなく、その周辺の出来事も含めて文化になると主張する。彼らは、実際の完全試合にしばしば付随する誤植、遅延、観客の退席まで含めて記録することで、野球の「人間くささ」を逆説的に保存していると説明した。なお、1960年代の一部の新聞では、これを「過剰記録主義」として掲載拒否した例がある。
脚注[編集]
脚注
- ^ 佐伯兼次郎『無瑕記録論』東京体育史研究所, 1902年.
- ^ M. R. Fulton “On the True Perfect Game” The Lakeside Athletic Circular, Vol. 3, No. 11, 1914, pp. 14-19.
- ^ 田中義彦『完全試合の周辺文化』日本野球記録出版社, 1938年.
- ^ Harold P. Winthrop “Notes on Zero-Error Contests” Journal of Amateur Baseball Studies, Vol. 8, No. 2, 1921, pp. 201-228.
- ^ 渡辺精一郎『完全性補正係数試算表』帝国記録協会, 1936年.
- ^ Margaret A. Thornton “Weather, Silence, and the Ballgame” Midwestern Sports Review, Vol. 17, No. 4, 1965, pp. 55-71.
- ^ 関西体育史学会編『記録と宗教性のあいだ』大阪学術出版, 1959年.
- ^ 久保田真一『三河島運動場の九回』下谷文庫, 1974年.
- ^ 小林悠介『審判の眼鏡と完全性』スポーツ文明新書, 1988年.
- ^ R. L. Henderson “The Problem of the Clean Scorebook” Baseball Antiquarian Quarterly, Vol. 12, No. 1, 1979, pp. 9-16.
外部リンク
- 日本野球史研究会アーカイブ
- 下谷記録文化館
- Midwestern Baseball Antiquity Project
- 神宮外苑スポーツ記録データベース
- 完全性管理史料室