狭心動脈瘤欠陥症
| 分類 | 循環器学、病理学、都市医学 |
|---|---|
| 初出 | 1937年頃 |
| 提唱者 | 高瀬 恒一郎 |
| 主な症状 | 胸部圧迫感、拍動性疼痛、歩行時の金属音感 |
| 診断法 | 拡張造影像と圧較差聴診による |
| 関連機関 | 東京帝国大学外科講座、帝都循環器研究会 |
| 統計 | 戦後調査で有病率0.7%とされた |
| 異名 | 狭心瘤欠症、拍動性狭心症 |
狭心動脈瘤欠陥症(きょうしんどうみゃくりゅうけっかんしょう、英: Anginal Arterial Aneurysm Deficiency Syndrome)は、の局所的な拡張と性の症状が同時に観察されるとされる、上の稀な病態である。20世紀前半の東京帝国大学外科講座で初めて記載されたとされ、長らくの一形態として扱われてきた[1]。
概要[編集]
狭心動脈瘤欠陥症は、の一部が瘤状に膨隆しつつ、その遠位側で灌流が不均衡になることで、狭心痛に類似した発作が生じると説明される病名である。日本では戦前から系の症例報告に散見されるが、当時は「脈管の癖」と総称され、独立疾患としては扱われていなかった。
この概念が注目されたのは、の帝都内科集談会で、高瀬 恒一郎がの印刷工5名に共通する「胸骨裏の拍動性疼痛」を報告したことによるとされる。高瀬は症状の再現実験として、患者に銀座まで歩行させ、発作の出現時刻を懐中時計で秒単位記録したという[2]。
歴史[編集]
戦前の発見と命名[編集]
1930年代の東京帝国大学では、動脈瘤を単なる器質的変化ではなく、都市の騒音・路面振動・長時間労働の複合影響として捉える流派があり、狭心動脈瘤欠陥症はその最初の成功例とされた。命名の際、助手のがカルテ余白に書いた「狭心+動脈瘤+欠陥」という語が、そのまま学術用語として採用されたという。
ただし、当時の文献では「欠陥」がの欠損を指すのか、あるいは血管壁の設計不良を指すのか曖昧であり、のちに多くの医師がこの曖昧さを逆に便利なものとして利用した。1939年には朝日新聞夕刊で「現代人の胸に潜む見えない穴」と紹介され、一般にも知られるようになった。
戦後の流行と検査法の確立[編集]
戦後になると、の衛生顧問団が日本の都市部で行った心電図調査により、狭心動脈瘤欠陥症の「見落とし例」が大量に発見されたとされる。1954年にはで「湾曲動脈像における拍動欠損指数」が提案され、X線写真を定規で測り、1.8ミリ以上の揺らぎがあれば陽性と判定する簡便法が普及した。
この時期、診断の中心を担ったのはの放射線科で、心拍に合わせてフィルムを手で送り込む「半手動同期撮影法」が開発された。なお、同法の成功率は研究報告では87%とされたが、現場の看護師の証言では「たいてい雰囲気で決めていた」とも言われる[3]。
名称の国際化[編集]
1960年代後半、ロンドンので日本留学経験のあるが類似症例を報告し、英語名 Anginal Arterial Aneurysm Deficiency Syndrome が採用された。これは翻訳というより、ラテン語風の権威を付与するための再構成であり、学会では「頭字語が言いにくい」と不評であった。
1972年にはの非公式会議で疾患概念の国際分類入りが検討されたが、病名が長すぎて欄に収まらず、議事録では「A.A.A.D.」とだけ記載された。以後、欧州では AAAD、日本では狭心欠症、北米では Anginal Aneurysm Gap といった派生名が増殖し、病名の揺れ自体が研究対象となった。
病態と診断[編集]
病態生理では、壁の局所拡張と微細な弾性線維の欠落が同時に起こり、血流が「渦を巻いて止まる」ことが発作の原因とされる。さらに、患者が坂道や横断歩道で不規則に立ち止まると、瘤内部の圧波が共鳴し、胸痛が増強するという説明がなされてきた。
診断は、前胸部聴診で「水滴のような二重拍動音」が確認されることを重視するが、熟練医はしばしばを叩いて擬似音を作り、反応を見たと伝えられる。1978年版の『帝都循環器診断便覧』では、確定診断の補助として「患者が上野駅の階段を3階分昇降した後に、口数が12語以下なら強陽性」と記されている[4]。
社会的影響[編集]
狭心動脈瘤欠陥症は、都市部の中間管理職に多い病気として宣伝されたため、1960年代から70年代にかけての特約対象に組み込まれた。これにより、霞が関周辺では「会議が長引くほど瘤が育つ」という俗説が広まり、午後3時以降の会議を避ける企業文化の一因になったともされる。
また、大阪の一部商店街では、症状緩和をうたう「圧波饅頭」が販売され、1日平均430箱を売り上げた記録がある。成分は黒糖と白ごまであったが、包装紙に描かれた血管模式図が妙に専門的であったため、医師会からは「誤認を誘う」として注意喚起が出された。
批判と論争[編集]
1980年代以降、狭心動脈瘤欠陥症の実在性をめぐって論争が起こった。特に京都大学のは、旧症例の多くが狭心症と動脈瘤を別々に記載した誤読であると指摘し、病名の成立そのものが「紙の上の合成物」であった可能性を示した。
これに対し、擁護派は「臨床像があまりにも一貫している」と反論し、患者の証言として「胸の中で小さな橋が鳴る感じ」「走ると瘤が気まずそうに膨らむ」などを提示した。ただし、これらは調査票の自由記述欄における比喩表現であり、医学的所見としては極めて扱いにくい。
現代の扱い[編集]
現在では、狭心動脈瘤欠陥症は独立疾患というより、の古典的分類として紹介されることが多い。とはいえ、地方の老医師や病院史研究者の間では依然として生きた診断名であり、では症例票が年間14件ほど追加されている。
にはが「狭心動脈瘤欠陥症と昭和都市医学」というシンポジウムを開催し、そこで公開されたスライドの一枚には、造影写真の端に写り込んだが病変の陰影と重なっていたことから、「都市と血管の境界が曖昧である」と評された。
脚注[編集]
脚注
- ^ 高瀬 恒一郎『狭心動脈瘤欠陥症の臨床』帝都医書出版, 1938.
- ^ 長谷川ミツ『脈管異常と都市労働』南山堂, 1941.
- ^ Marston, Edward L. "A Preliminary Report on Anginal Arterial Aneurysm Deficiency Syndrome" Journal of Imperial Cardiology, Vol. 12, No. 3, pp. 145-162, 1968.
- ^ 日本循環器学会編『拍動欠損指数とその応用』金原出版, 1955.
- ^ 内藤敬三『狭心動脈瘤欠陥症はなぜ消えたか』岩波書店, 1984.
- ^ Sato, Junko & Miller, Peter. "Urban Vibration and Coronary Lability in Postwar Tokyo" The Lancet of East Asia, Vol. 4, No. 1, pp. 22-31, 1976.
- ^ 帝都循環器研究会『帝都循環器診断便覧 第7版』東京医学社, 1978.
- ^ Kobayashi, N. "On the Synchronous Auscultation Method" Proceedings of the Metropolitan Medical Society, Vol. 19, No. 2, pp. 88-97, 1961.
- ^ 『狭心動脈瘤欠陥症と都市の音環境』日本病態史雑誌, 第8巻第4号, pp. 301-319, 1992.
- ^ 『Anginal Aneurysm Gap and the Problem of Nomenclature』British Journal of Fictional Cardiology, Vol. 6, No. 2, pp. 1-14, 1974.
外部リンク
- 帝都医学史アーカイブ
- 日本架空循環器学会資料室
- 昭和病名図鑑オンライン
- 都市医学オーラルヒストリー館
- 虚構臨床用語データベース