突然留学体験記
| 名称 | 突然留学体験記 |
|---|---|
| 読み | とつぜんりゅうがくたいけんき |
| 英語名 | Sudden Study Abroad Memoir |
| 成立時期 | 1987年頃 |
| 発祥地 | 東京都千代田区麹町 |
| 主な関係者 | 日本民間交換記録協会、英語作文研究会、北海学園交換班 |
| 主題 | 留学体験の即時記録、移動中の手書き日誌 |
| 特徴 | 渡航先の通知が出発直前まで伏せられる |
| 派生形式 | 一筆版、車内口述版、空港待機版 |
| 現在の扱い | 文化祭・教養講座での実演資料 |
突然留学体験記(とつぜんりゅうがくたいけんき)は、出発当日の朝に行き先が告げられ、現地での生活記録をほぼその場で綴る記録形式である。主に昭和末期の民間交換留学運動のなかで成立したとされ、近年は東京都内の高校文化祭を中心に再評価が進んでいる[1]。
概要[編集]
突然留学体験記とは、渡航先を事前に完全には知らされないまま留学し、その混乱と適応を記録する文章形式である。記録者はの搭乗口、あるいは旧羽田空港の国際線待合室で初めて行き先を知ることが多く、到着後48時間以内に初稿を提出する慣行があるとされる[2]。
この形式は、一般的な旅行記や留学記と異なり、心理的動揺そのものを文学的素材とする点に特徴がある。また、1980年代後半にが「異文化適応の初動を可視化する」として制度化したのが始まりとされるが、実際には関係者の誰も同じ説明を二度とできなかったため、当初から定義がゆらいでいた[3]。
歴史[編集]
創始期[編集]
起源については諸説あるが、最も有力なのはの会議である。会議では、英語作文の定型化に飽きた高校教員の渡辺精一郎が「留学先を知った瞬間の表情こそが作文になる」と発言し、これが採択されたとされる。なお、議事録には「表情を記録媒体とする場合の著作権の所在」について17分間の空白があり、ここが後年の論争の火種となった[4]。
方式[編集]
突然留学体験記には、いくつかの標準的な形式がある。最も基本的なのは「一筆版」で、空港到着後にで一気に6,000字を書き上げる方式である。これに対し「車内口述版」は、機内食の記憶が薄れる前にへ独白を吹き込む形式で、編集工程で必ず一箇所だけノイズが残ることが美学とされた。
また、1990年代後半には「空港待機版」が登場した。これは、乗り継ぎ先が告げられるまでの5〜8時間を使い、搭乗ゲート付近の床に座って日記を下書きする方法であり、開港前後の東アジア便で多く用いられた。記録者はしばしば、到着国の通貨を知らないまま自販機の前で立ち尽くした感覚を一文目に置く。
社会的影響[編集]
この形式は、留学を「成果のある海外経験」ではなく「情報不足下での判断訓練」として捉え直した点で大きい影響を与えた。特に東京都の進学校では、海外進学実績よりも「突然の事態に対する語彙の多さ」が重視される傾向が生まれ、1989年度には国語科と英語科の合同採点で『驚きの副詞使用率』が導入されたとされる。
さらに、観光業にも波及した。旅行会社は、体験記の人気を受けて「行き先未告知ツアー」を商品化し、1996年には月間312件の申込があったという。もっとも、実際に購入した客の半数近くが空港で返金を求めたため、商品パンフレットには小さく『体験記の提出は任意』と記された。
批判と論争[編集]
批判の中心は、突然性を演出するために主催者側が過度に演出を行っていた点である。ある記録では、搭乗口で封筒を渡す職員がわざと間違った名前を呼び、記録者の混乱を増幅させたとされるが、これは2010年代になってから一部の参加者が証言したにすぎない[5]。
また、留学先の国・地域によっては「なぜ自分の国名を知らないのか」と受け取られたケースもあり、カナダので現地校の校長が「文化交流より航空券の管理を先に学ぶべきだ」と苦言を呈した逸話が残る。これに対し、擁護派は「不安の記録こそが国際理解である」と反論したが、反論文の大半が帰国便の遅延に関する愚痴であったため、議論はやや収束しなかった。
記録の特徴[編集]
本文には、必ずといってよいほど時刻が細かく書き込まれる。たとえば「08:14にの存在を再確認」「09:02に隣席の人へ『本当にこの便でよいのか』と尋ねる」「11:27に窓外の雲を祖国と比較する」などである。特に優れた作品では、現地到着から最初の72時間に食べた料理の塩分濃度まで記録されることがある。
また、記録者はしばしば、現地語を覚える前に方言や訛りを誤認する。たとえばロンドンでの体験記では、地下鉄の案内放送を「祈りの一種」と誤解したまま2ページを費やす例が知られている。この誤解が、かえって異文化接触の初期衝撃をよく表しているとして、一部の編集者には高く評価された。
代表的な作品[編集]
代表作として最も引用されるのは、1991年の『ミラノ便、まだ言われていない』である。これは発の便で終始行き先を伏せられた女子高生が、到着地ので初めて自分がファッション研修団に組み込まれたことを知る内容で、靴底の厚さを文化差として論じた一節が有名である。
の『ケープタウン行きではありませんでした』は、乗り継ぎの混乱でとを往復した記録を含み、本文中に同じ空港のスタンプが14個押されているため、研究者の間では「旅程の過剰な自己再帰」と呼ばれる。ほかに、の『ストックホルムの昼と自販機の夜』は、到着初日に水が炭酸水しか売られていない状況を延々と分析し、北欧文学賞の候補に上がったことでも知られる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『突然留学体験記の成立と初動記述』日本異文化教育学会誌 Vol.12 No.3, 1995, pp. 41-68.
- ^ 佐伯由紀子『空港待機版における沈黙の文法』文化記録研究所紀要 第8巻第2号, 2001, pp. 9-27.
- ^ Margaret A. Thornton, “The Semiotics of Sudden Departure Narratives,” Journal of Transnational Memoirs, Vol. 14, No. 1, 2003, pp. 113-140.
- ^ 河合一馬『封緘解除タイムの教育史』東洋教育評論 第22巻第4号, 1999, pp. 201-219.
- ^ H. R. Ellison, “Unannounced Destinations and the Aesthetics of Panic,” International Review of Educational Folklore, Vol. 7, No. 2, 2008, pp. 55-79.
- ^ 臼井真琴『成田国際空港における体験記文化の形成』空港人文誌 第5巻第1号, 2010, pp. 3-18.
- ^ Jean-Luc Morand, “Chronologies of Confused Mobility,” Revue des Études Itinérantes, Vol. 9, No. 4, 2014, pp. 88-102.
- ^ 北海学園交換班編集部『突然留学体験記実例集 1989-1994』北海出版, 1995.
- ^ 大塚紗也香『行き先未告知ツアーの消費者心理』観光と記録 第17巻第1号, 2017, pp. 77-95.
- ^ W. K. Harrow, “Memoirs Written Before Knowing the Country,” The Journal of Applied Confusion, Vol. 3, No. 1, 1992, pp. 1-23.
- ^ 高瀬康介『ストックホルムの昼と自販機の夜』北欧文化ノート 第11巻第3号, 2012, pp. 144-150.
外部リンク
- 日本突然留学体験記協会
- 空港文学アーカイブ
- 民間交換記録資料室
- 異文化初動記述データベース
- 封緘解除タイム研究会