あふぉ
| 名称 | あふぉ |
|---|---|
| 別名 | 遅延感嘆法、間投詞的逆説 |
| 起源 | 京都御土居周辺の町人語 |
| 成立 | 18世紀末頃 |
| 主な普及地 | 京都、大阪、神戸、東京 |
| 関連分野 | 言語学、演芸史、都市民俗学 |
| 代表的研究者 | 渡辺精一郎、Margaret A. Thornton |
| 社会的用途 | 失敗の緩衝、突っ込み回避、共同体の連帯確認 |
| 禁忌 | 公式文書での多用 |
あふぉは、江戸時代後期に京都の口承文化から体系化されたとされる、感情の高ぶりをあえて一拍遅れて言語化するための日本の表現技法である[1]。のちに大阪の寄席芸人と東京の新聞編集者によって再定義され、20世紀には半ば学術語としても扱われた。
概要[編集]
あふぉは、驚愕・失望・親愛・軽蔑のいずれにも転用可能な多機能間投詞であり、文末で一拍置いてから発話することで、語り手の責任を一部宙吊りにする効果があるとされる。京都府立の古文書調査では、年間の商家控帳に「アフヲ」という仮名表記が散見されるが、これが現代的な用法と連続しているかは議論がある[2]。
一般には侮蔑語の一種と理解されることが多いが、実際には共同体内での距離調整の技法として発達したという説が有力である。また、大阪の船場言葉では、同じ音形が祝儀・不祝儀の双方で使い分けられ、場の空気を「少しだけ壊す」ことでかえって秩序を保つ役割を果たしたともいわれる。なお、明治期の辞書には未収録であったが、大正末の新聞連載欄で一気に一般化したという。
この語の特徴は、意味が固定されていないにもかかわらず、使用者同士には十分に通じる点にある。そのため、言語学では「意味未確定語」あるいは「共鳴型罵倒語」の一種として扱われ、1958年の共同調査では、関西圏の20代男性の37.4%が「自分では使うが説明できない語」として挙げた[3]。
歴史[編集]
起源説[編集]
起源については、京都の町家で使われた「飽了(あふぉ)」に由来するという説が最も有力である。これは当初、茶請けが多すぎて「もう十分である」という感嘆を示す言葉であったが、茶屋の客引きがこれを誇張して叫んだ結果、逆に「間が抜けた状態」全般を指すようになったとされる。別系統として、沿いの船頭が濡れた荷を見て発した「アフオ」という短嘆息が語源とする説もあり、こちらは要出典とされることが多い。
末には、京都の戯作者・近江屋宗右衛門が手控えに「あふをは、責めるほどに軽く、笑ふほどに重し」と記したと伝えられるが、この筆者の実在性をめぐっては論争が続いている。なお、京都市中京区の旧薬種商・井筒屋家に伝わる帳面では、使用例が年間12回から41回へ急増しており、研究者はこの時期に「語の儀礼化」が進んだと見る[4]。
この語が都市部で定着した背景には、文化との相性の良さがある。短く、音価が強く、しかも発語後に沈黙が生じるため、聞き手は自然とツッコミを返すことになるのである。この「沈黙を強制する語彙」は当時としては珍しく、のちの漫才の基礎装置になったとする誇張気味の説もある。
近代における再編[編集]
明治30年代に入ると、あふぉは一度衰退する。これは東京の学校教育で標準語化が進み、地域的な含みを持つ語彙が排除されたためである。しかし、の夕刊文化欄に掲載された四コマ欄が、あふぉを「古風だが痛烈な都会語」として再発見し、大正12年から18年にかけて読者投稿が急増した。
とくに有名なのが、にで開かれた「街語講演会」である。講師の言語学者・渡辺精一郎は、あふぉを「語感においては罵倒、社会機能においては合図」と定義し、聴衆432名のうち79名がその場でメモを取り、14名が翌週から実際に使い始めたという。なお、この数字の正確性は確認されていないが、講演録の紙幅と整合するため研究者は概ね受け入れている[5]。
には、映画館の立ち見客や市場の呼び込みの間で「あふぉ」が再流通した。特にの周辺では、看板職人が誤って「あふぉ」の最後を伸ばしすぎたことから、字面の末尾が「ぉ」に収束したという逸話が残る。この誤植が定着したことで、語の表情が柔らかくなり、若年層にも受容されたと考えられている。
学術化と制度化[編集]
には、あふぉは単なる俗語ではなく、社会的緩衝材として再評価された。大阪大会では、英米の研究者が「Apho phenomenon」と呼ぶべきだと主張し、は発話後の0.8秒の空白を「Apho gap」と命名した[6]。この空白時間は、相手に怒るべきか笑うべきかを決めさせる猶予として機能するという。
には京都大学文学部の共同研究班が、近畿地方の学生214名を対象に聞き取りを行い、あふぉを「自分を下げながら相手を下げる二重戦略語」と分類した。もっとも、同研究は被験者の多くが「そんな大げさなものではない」と答えたため、逆に現場感覚の強さが際立つ結果となった。なお、この調査票には「使用時に笑いが伴うか」「相手が先に言い返すか」など、やや独特な設問が含まれていた。
以降、あふぉはテレビ番組の字幕や若者向け雑誌で「古いのに新しい」語として再流行した。とくに大阪市のローカル番組で、コメンテーターが失言直後に「あふぉやなあ」とつぶやく演出が定番化し、視聴率が平均で1.7ポイント上昇したとされる。
用法[編集]
あふぉの用法は大きく、1. 非難、2. 失望、3. 親愛、4. 自己卑下、5. 共同体確認の五類型に分けられる。もっとも、実際の会話ではこれらが混線することが多く、意味は話者の眉の動きと語尾の長さによって決まるとされる。
非難用法では、「あふぉか」という形で相手の判断を問うが、これは本来、判断能力を否定するものではなく、選択の速度をからかう表現である。親愛用法では、「もう、あふぉやなあ」として用いられ、関係が壊れていないことを確認する儀礼になる。一方で自己卑下用法は、失敗後に「ほんま自分あふぉや」と言うもので、責任を自分に引き戻しつつ場を和ませる効果がある。
また、近年の若年層研究では、あふぉは直接発話よりもSNSの短文で頻用される傾向が指摘されている。とくに以降は、句点の代わりに使われる例が増え、1投稿あたり平均0.6回出現するという調査結果がある[7]。
社会的影響[編集]
あふぉは、単語単体としては軽いが、共同体の内部で使われると強い帰属意識を生む。たとえば兵庫県の商店街組合では、月例会議の冒頭に店主同士が「あふぉ、あふぉ」と挨拶し合うことで、対立案件を先送りにする慣行があり、これを「語頭の和解」と呼ぶという。
教育現場では扱いが難しく、1974年の通達では、児童生徒に対する使用は慎重を要するとされたが、同時に「地域の言語文化として完全排除は避けるべき」と記されていた。この二面性が、あふぉの制度的位置をよく示している。なお、通達文の末尾に担当者の手書きで「親に言うな」と書き加えられていたという逸話があるが、これも未確認である。
また、落語・漫才・新聞コラム・居酒屋の壁貼りなど、媒介ごとに機能が変わる点も重要である。落語では聞き手の予測を外すための前振り、漫才ではボケの着地、新聞では読者の眉間のしわをほどく装置として利用された。このように、あふぉは侮蔑語でありながら、都市の摩擦を減衰させる稀有な語彙として位置づけられている。
批判と論争[編集]
あふぉには、乱暴な言葉であるという批判が常に付きまとってきた。とりわけのNHK調査では、回答者の28.2%が「家庭内で子どもに言わせたくない」と答えた一方、16.9%が「祖父母から受け継いだので捨てがたい」と回答しており、評価は真っ二つに割れた[8]。
また、語源論争も激しい。京都起源説、大阪再編説、船場の商家説、外国語借用説などが並立するが、どれも決定打に欠ける。特に、フランス語の aphoir から来たとする19世紀末の珍説は、当時の蘭学書簡に一度だけ見えるが、文脈上は筆写ミスとみるのが妥当である。
さらに、にはの卒業論文で「あふぉの肯定的使用は暴力性を隠蔽する」と指摘されたが、翌年の修正版では「同時に、相互の無力感を笑いに変換する」と補足された。研究者のあいだでは、あふぉを純粋な侮蔑語として扱うのは狭すぎるという見方が優勢である。
脚注[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『都市間投詞の成立と変容』京都文化書院, 1986.
- ^ Margaret A. Thornton, "Apho and the Politics of Delay", Journal of Urban Linguistics, Vol. 12, No. 3, pp. 201-227, 1979.
- ^ 井筒屋宗一『船場語彙小考』大阪民俗研究会, 1971.
- ^ 国立国語研究所『関西方言と感情表現に関する共同調査報告』第4巻第2号, 1959.
- ^ 佐伯美奈子『笑いの間と沈黙の技法』新潮社, 1994.
- ^ Charles H. Bellingham, "Interjectional Negation in Postwar Japan", East Asian Philology Review, Vol. 8, pp. 44-69, 1962.
- ^ 京都府立文化史研究所編『寛政期商家帳簿にみる話し言葉』研究資料集第11号, 2001.
- ^ 本多千鶴『語尾の政治学』岩波書店, 2007.
- ^ 大阪市立演芸資料館『寄席における罵倒語の機能』所蔵目録別冊, 2013.
- ^ Theodora M. King, "Apho Gap and Audience Reflexes", Proceedings of the International Society for Interjection Studies, Vol. 5, pp. 88-109, 1984.
外部リンク
- 京都町語アーカイブ
- 関西間投詞研究会
- 大阪演芸言語資料室
- 都市民俗表現データベース
- Apho Studies Online