えいちしたい
| 名称 | えいちしたい |
|---|---|
| 別名 | H式遺体整列法、H搬送 |
| 分類 | 都市防疫技法・葬送準備 |
| 起源 | 大正末期の東京府下 |
| 考案者 | 渡辺精一郎と関東衛生局臨時班 |
| 普及地域 | 東京都、神奈川県、埼玉県南部 |
| 使用時期 | 1927年頃 - 1970年代前半 |
| 主用途 | 狭隘な搬送路での一時安置と識別 |
| 関連文書 | 『H式臨時遺体配置要領』 |
| 現状 | 民間の一部慣習として細々と継承 |
えいちしたいは、主に日本の都市部で用いられる、H字型の配置をとる死体保全技法、またはその技法に基づく遺体搬送区画の俗称である。もともとは大正末期に東京府下で生まれた防疫上の工夫とされ、のちに警察庁の内部文書で「H式遺体整列法」として整理された[1]。
概要[編集]
えいちしたいは、狭い建物内や仮設の安置所で遺体をH字型に並べ、中央の空隙に記録係が立ち入れるようにした配置法である。名称の由来は、俯瞰図がアルファベットのHに見えることから来たとされる[2]。
一般には葬送に関する隠語として理解されることが多いが、初期には感染症対策と身元確認を兼ねた行政実務であったとされる。特に関東大震災後の仮設霊安室では、1室あたり最大14体を無理なく識別できたことから、内務省の衛生担当者の間で高く評価された[3]。
起源[編集]
大正末期の衛生行政[編集]
起源は、東京府衛生課に配属されていた渡辺精一郎が、区役所の倉庫で保管されていた木札付き担架の配置を改良したことにあるとされる。渡辺は横向きに寝かせた担架を2列にすると通路が塞がり、検視官が転倒しやすいことに気づき、中央を空けたH字配置を試みたという[4]。
この配置は当初「中抜き二列法」と呼ばれていたが、現場の係員が図面にH字を書き込んだ際、誰かが「えいちしたい」と読み上げたことから俗称化したと伝えられている。なお、この逸話は昭和初期の座談会記録にしか現れず、出典の所在については疑義がある。
警察・消防への移植[編集]
にはの遺体移送班が、火災現場での収容効率向上のためこの方式を採用した。特に一帯の長屋火災では、路地幅が平均1.6メートル程度しかなく、担架を縦に置くと通行が不可能であったため、H字配置が事実上の標準になったという[5]。
警視庁の記録では、同年秋のある現場で、配置変更だけで引き継ぎ時間が27分から11分に短縮されたとされる。ただし記録係が「見栄えが整いすぎて不謹慎」と苦情を受けたとも書かれており、実務と感情のあいだで揺れた技法であった。
構造と手順[編集]
標準的なえいちしたいでは、左右の縦棒に当たる2列へ遺体を並べ、中央の横棒部分を記録・確認・供花の通路として空ける。中央部には通常、木製の番号札立て、白布、消毒壺が置かれ、最大で3名まで同時に作業できたとされる[6]。
手順は細かく定められており、先に年長者または識別困難な遺体を外側へ置き、身元が判明しているものを内側に配した。これは「取り違え防止」と「遺族への説明順」を両立させるための工夫で、の回想録には「整然としているが、どこか楽譜のようでもあった」と記されている。
一方で、宗教者からは「死者を図形化する行為」として批判も受けた。これに対し行政側は、えいちしたいはあくまで一時的配置であり、儀礼の代替ではないと説明したが、現場では白布の折り方まで規格化が進み、結果的に半ば様式美として受容された。
普及と定着[編集]
高度経済成長期の標準化[編集]
1958年、厚生省は『仮設安置所運用指針第4版』において、えいちしたいに準拠した区画寸法を事実上の標準として採用した。これにより、学校体育館や公民館を一時安置所へ転用する際の設計が容易になり、全国で年間約3,200件の臨時設営に応用されたとされる[7]。
特に神奈川県の港湾地区では、コンテナ倉庫を流用した安置施設が多く、H字配置の左右脚がフォークリフトの動線と偶然合致したことから、物流業界でも「死者にまで優しいレイアウト」と冗談めかして呼ばれた。
民間葬儀社への浸透[編集]
後半には、東京近郊の中堅葬儀社が搬送用の折りたたみ台車をH字型に接続できる製品を販売し、業界内で小さなブームになった。カタログには「静粛」「識別容易」「焼香導線と干渉せず」といった文句が並び、特に家族控室の狭い埼玉県南部で重宝されたという。
また、ある葬儀社が見学会でH字配置を「人の流れを止めない最後の都市設計」と紹介したところ、建築雑誌『』編集部が興味を示し、翌号でわずか2ページながら異例の掲載を行ったとされる。
社会的影響[編集]
えいちしたいは、単なる遺体配置法にとどまらず、戦後日本の狭小空間への適応思想を象徴するものとして論じられている。都市計画研究では、H字の中央空間が「死者のための余白」であると同時に「生者の確認作業のための余白」であった点が、近代行政の合理主義をよく表すと評価された[8]。
また、現場で使われた白布の折り返し角度をめぐって、地域ごとの流派が生まれたことも知られている。都内では45度折り、横浜では60度折り、川崎では「ほぼ直角」とされ、なかには「H字の崩れ方で地域性がわかる」と主張する研究者まで現れた。
ただし、遺族感情への配慮が足りないとして、1971年にが自主基準を改定し、一般公開の場ではH字配置を見せない方針へ転じた。これにより、えいちしたいは実務から徐々に姿を消したが、裏方の効率化技法としてはなお一部で参照されている。
批判と論争[編集]
最も大きな論争は、えいちしたいが「合理的な配置」であるのか「死者を工業製品のように扱う象徴」であるのかという点にあった。これに関して東京大学の社会学者・松原義兼は、1983年の論文で「図形化は可視化であり、非人間化ではない」と述べたが、同時に「図形が整いすぎると葬儀の空気が会議室化する」とも書いている[9]。
また、現場の作法として中央通路を踏まないようにする「Hの腹を踏むな」という古い戒めがあり、これが一部では迷信化した。ある霊安室では、中央を横切った新人が3日連続で記録用ボールペンを紛失し、以来「Hは怒る」とまで言われたという。こうした逸話が、えいちしたいを単なる配置法以上のものに押し上げた。
なお、以降に撮影された一部の地域ドキュメンタリーでは、H字配置が「伝統文化」として誤って紹介される事例もあり、学術的にはいまだ整理が続いている。
現代の扱い[編集]
現代では、えいちしたいそのものを明示的に指示する場面は少ないが、搬送導線設計や仮設安置所のレイアウト原理として痕跡が残っている。とりわけや大規模停電時の臨時安置計画では、中央作業帯を空ける発想が今なお有効とされる[10]。
一方で、若い葬祭ディレクターの間では、えいちしたいは「昭和の現場で先輩が得意げに語る謎の技法」として半ば伝説化している。研修では写真資料が1枚しか残っていないことも多く、受講生が図解を見て「なるほどHですね」と言った瞬間に、講師がなぜか深くうなずくのが通例である。
なお、に横浜市で行われた展示企画『都市の余白』では、えいちしたいが展示レイアウトの元型として紹介され、来場者の一部が「死者の配置法が美術館の動線にも影響したのか」と驚いたと報告されている。
脚注[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『H式臨時遺体配置要領』東京府衛生課内刊, 1928年.
- ^ 松浦健二「都市火災と搬送導線の簡略化」『衛生行政研究』Vol.12, No.3, pp. 41-58, 1931年.
- ^ Harold T. Wells, "Temporary Mortuary Layouts in Dense Cities," Journal of Civic Hygiene, Vol. 7, No. 2, pp. 113-129, 1949.
- ^ 『仮設安置所運用指針第4版』厚生省公衆衛生局, 1958年.
- ^ 松原義兼「図形化された死者と近代官僚制」『社会と儀礼』第18巻第1号, pp. 7-26, 1983年.
- ^ A. R. Fleming, "The H-Plan and Corridor Economics," Urban Emergency Review, Vol. 21, No. 4, pp. 201-219, 1964.
- ^ 高橋みどり『白布の作法史』日本葬祭文化研究所, 1972年.
- ^ 神奈川県港湾衛生協議会『コンテナ倉庫の臨時転用に関する覚書』, 1967年.
- ^ 中村善一『死者の導線設計とその周辺』中央公論新社, 1991年.
- ^ Elizabeth N. Carter, "When Plans Become Rituals," Proceedings of the Institute of Municipal Design, Vol. 3, No. 1, pp. 5-14, 2002.
- ^ 田島春彦『えいちしたいの美学——空白の中央線』新建築社, 2014年.
外部リンク
- 日本仮設安置研究会
- 都市衛生アーカイブ
- 葬送動線資料室
- 昭和臨時施設図書館
- H式配置保存会