ハルビルサム・ゲインペレッペス
| 氏名 | ハルビルサム・ゲインペレッペス |
|---|---|
| ふりがな | はるびるさむ・げいんぺれっぺす |
| 生年月日 | 1887年4月12日 |
| 出生地 | 長崎県長崎市出島町 |
| 没年月日 | 1954年11月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗記録家、儀礼設計者、博覧会構成顧問 |
| 活動期間 | 1910年 - 1953年 |
| 主な業績 | 反転祭礼理論、潮位式行列図、三重封筒口述法 |
| 受賞歴 | 帝都民俗学会功労章、港湾文化振興賞 |
ハルビルサム・ゲインペレッペス(はるびるさむ・げいんぺれっぺす、 - )は、日本の民俗記録家、即興儀礼設計者である。地方都市の祭礼を「反転配置」する理論を提唱した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
ハルビルサム・ゲインペレッペスは、明治末期から昭和中期にかけて活動した日本の民俗記録家である。とりわけ、祭礼や祝祭を単なる「伝承の保存」ではなく、都市の通行・物流・潮汐・商慣習を含めた総合設計として読み替えた点に特色がある。
彼の名は、現在では東京都の下町研究やの港町文化の文脈でたびたび参照される。もっとも、本人は一貫して学者を名乗らず、「記録は儀礼の後ろを歩くべきである」と述べていたとされる[2]。なお、姓の「ゲインペレッペス」は彼の母方祖母が用いた港湾系商家の通称に由来するとされるが、戸籍上の確認は遅く、戦後もしばらく表記が揺れていた[3]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
、長崎市出島町に生まれる。父・ゲインペル松三郎は通詞見習いの末裔を称する帳場係、母・りつは南蛮菓子店の手伝いをしており、家庭内ではの断片、港の相場、祭礼の笛の音が混ざっていたという。幼少期の彼は、雨の日に石段へ流れる水の筋を紙に写し取り、これを「時間の地図」と呼んだと伝えられる[4]。
青年期[編集]
に上京し、東京帝国大学の聴講生として民俗学講義に出入りしたのち、門下を自称する複数の人物の周辺で雑記係を務めた。もっとも、正式に師事した記録は見つかっておらず、後年の回想録では本人も「師に師事したのではなく、師の机の埃に学んだ」と記している[5]。この時期、彼は浅草の見世物小屋やの古書店街を歩き、祭礼の進行順序が町の配達経路と一致することに強い関心を示した。
活動期[編集]
、彼は『反転祭礼試論』を私家版で刊行し、の祭礼において山車の進路を一部逆向きに設計する案を提示した。これがの若手研究者の間で小さな論争を呼び、翌年には内務省系の行事記録係からも照会を受けたとされる。以後、彼は横浜、、などの港町で行事記録に携わり、潮位表と町内会名簿を突き合わせる「潮位式行列図」を考案した。
には文化欄で「祭は観客のためではなく、通行人のためにある」と語ったと報じられ、物議を醸した。実際には記者が要約した言葉とされるが、この一文だけが独り歩きし、以後の彼の名声を決定づけた。なお、の即位に伴う地方祝賀行事では、彼が作成した三重封筒形式の進行表が採用され、配布枚数はに及んだという[6]。
晩年と死去[編集]
以降は神奈川県鎌倉の借家に移り、記録の整理と私信の清書に専念した。戦中戦後の混乱で多くの原稿を失ったが、逆に失われた余白を「儀礼の沈黙」と呼び、空白のページに日付だけを記す手法を続けた。11月3日、のためで死去した。遺稿には、最後まで完成しなかった『潮汐と祝辞の比較民俗学』の目次だけが残されていたという。
人物[編集]
ハルビルサムは、寡黙で観察癖の強い人物であったとされる。会話の最中に相手の袖口や靴底を見る癖があり、それは「話者の所属階層ではなく、移動半径を知るため」であったという。
逸話として有名なのは、の関東大震災後、焼け残った銀座の煉瓦塀に立ち、崩れた祭提灯の配置を測って「この町は再建される前に、まず通路が祈りを覚える」と語ったというものである。もっとも、この発言は弟子のが後年に脚色した可能性が高いとされる[7]。
また、甘味を好み、特に寒天と黒蜜を重ねた独自の菓子を「封緘菓」と呼んでいた。これは口述記録を封筒に三重に入れて持ち歩く習慣から名付けられたもので、同席者が封を切るまで食べてよい量が決まらない、という奇妙な作法があったという。
業績・作品[編集]
代表作としては、『反転祭礼試論』、『潮位式行列図案集』、『三重封筒口述法』の三点が挙げられる。いずれも学術書というより、実地の儀礼運営マニュアルに近く、地方自治体の行事係がこっそり参照したと伝えられる。
『反転祭礼試論』では、祭礼の進行を「見る者の視線」ではなく「商店街の開店順」に合わせるべきだと主張した。この考えは愛知県の一部商店街祭で実験され、売上が前週比増加したというが、比較条件が不明であるため、今日では半ば伝説として扱われる[8]。
『潮位式行列図案集』は、東京湾沿岸の行事で、潮位が高い日は山車の停止位置を11尺ずらすという極めて実務的な内容であった。彼はの予報と町内会の炊き出し時刻を同一表にまとめ、役所側から「便利だが読みにくい」と評された。また、『三重封筒口述法』は、口頭で伝えた内容を三つの封筒に分散記録し、最終的に三者の証言を照合する方法で、口述史研究にも影響を与えたとされる。
後世の評価[編集]
戦後しばらくは奇人扱いされたが、以降、都市民俗学とイベント運営論の交差点に位置する先駆者として再評価が進んだ。の地域文化研究会は、彼の方法論を「祭礼を交通の学として捉えた最初期の試み」と位置づけている。
一方で、彼の理論はあまりに実務寄りであったため、純粋な民俗学からは長く敬遠された。特に、祭礼の本質を「人が歩く順路の癖」と言い切った点については、簡略化が過ぎるとの批判もある。ただし、2011年に横浜市で行われた再現展示では、来場者のうち約3分の1が「なぜか経路案内に感動した」と回答し、彼の手法が視覚芸術としても通用することが示された[9]。
現在では、港町の博物館や大学の地域資料室で断片的に引用される存在であり、特に行列・行進・練り歩きの研究者からは、不可解だが役に立つ先人として親しまれている。
系譜・家族[編集]
父方は長崎の荷役と帳合に関わる家筋、母方は南蛮菓子の製法を伝えた商家とされる。父・ゲインペル松三郎、母・りつの間に生まれ、兄に清吉、妹にたえがいたというが、戸籍簿の焼失により詳細は確定していない。
に横浜の写本整理係・片岡トミと結婚し、長男・正彦、次男・隆一をもうけた。正彦は京都で図書館司書となり、隆一は港湾倉庫の管理に携わったとされるが、いずれも父の理論を「日常の動線を尊重する癖」としてのみ継承したという。なお、孫の代になると姓の「ゲインペレッペス」の綴りが家族ごとに異なり、墓石には「ゲインペレプス」と刻まれている例も確認されている[10]。
脚注[編集]
[1] ただし初出記事では生年が1886年とされた例もある。
[2] 彼の呼称は時期により「儀礼設計師」「行列記録家」「港町案内学徒」などと揺れていた。
[3] 戦災で一部の原簿が失われたため、姓の表記は今日でも研究者の間で統一されていない。
[4] この逸話は長男・正彦の回想録にのみ見える。
[5] 当時の聴講簿には、彼の名前と似た別人の記載があるとの指摘がある。
[6] 配布枚数については8,120部とする資料もある。
[7] 三枝の証言は三回書き換えられており、最終稿のみが一般に流布した。
[8] 売上増加の要因は、近隣の映画館が休業していたためである可能性がある。
[9] 展示は3日間で延べ人数を集計しているため、実人数は不明である。
[10] 墓石の綴りについては、石工が長音を聞き落としたという説がある。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田中 恒一『反転祭礼の系譜――ハルビルサム・ゲインペレッペス研究』東洋民俗出版社, 1988.
- ^ 三枝 栄次「港町における行列設計の変遷」『帝都民俗学会誌』Vol.14, No.2, 1962, pp. 41-63.
- ^ Margaret L. Haversham, “Reverse Processions and Civic Rhythm,” Journal of Urban Folklore, Vol. 9, No. 1, 1974, pp. 11-29.
- ^ 小島 由紀『潮位表と祝祭運営』港湾文化研究所, 1991.
- ^ Arthur J. Bell, “The Three-Envelope Method in Oral Recording,” Proceedings of the Society for Ceremonial Studies, Vol. 22, No. 4, 1958, pp. 201-218.
- ^ 長谷川 俊一「出島商家と儀礼記録の近代化」『長崎文化史研究』第7巻第1号, 2003, pp. 5-19.
- ^ Marie-Claire Dubois, “Harbiltham Gainpereppes et la ville qui marche,” Revue des Études Portuaires, Vol. 3, No. 2, 1967, pp. 77-95.
- ^ 鈴木 里美『封緘菓と書簡文化』南蛮堂書店, 2008.
- ^ 岡部 真一郎「行列は誰のものか」『都市民俗批評』第18巻第3号, 2015, pp. 90-112.
- ^ Hiroshi N. Kanda, “Ceremonial Traffic and the Economics of Parade Order,” Asian Civic Review, Vol. 12, No. 5, 1984, pp. 133-149.
- ^ 清水 玲子『ハルビルサムの余白』北窓社, 2019.
- ^ 「ゲインペレッペス家墓碑銘調査報告」『港町資料通信』第4号, 1972, pp. 2-9.
外部リンク
- 帝都民俗アーカイブ
- 港町行列研究センター
- 長崎出島文化資料室
- 昭和地域儀礼データベース
- 三重封筒法保存会