時津国政宗
| 氏名 | 時津国 政宗 |
|---|---|
| 画像 | Tokitsukuni_Masamune_2023.jpg |
| 画像サイズ | 260px |
| 画像説明 | 2023年夏巡業での時津国政宗 |
| 愛称 | 北海の関取王 |
| 生年月日 | 1994年7月18日 |
| 出身地 | 北海道留萌市 |
| 身長 | 189cm |
| 体重 | 158kg |
| 国籍 | 日本 |
| 背番号 | 該当なし |
| ポジション | 押し相撲・右四つ |
| 所属部屋 | 時津国部屋 |
| 利き手・利き足 | 右四つ・左差し |
| medaltemplates | 敢闘賞1回、技能賞2回、殊勲賞3回 |
時津国 政宗(ときつくに まさむね、[[1994年]]〈[[平成]]6年〉[[7月18日]] - )は、[[北海道]][[留萌市]]出身のプロ相撲選手()。右四つ・左差し。[[日本相撲協会]]の所属。[[2022年]]にを総なめにし、同年のを獲得したことで知られる[1]。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
時津国政宗は北海道留萌市の元漁師町にある「留萌北潮相撲道場」で小学校2年から稽古を始めたとされる。道場では毎朝4時半に砂浜を走らされ、潮の満ち引きに合わせて四股を踏むという独自の鍛錬が行われていた[2]。
中学時代には旭川の合同大会で3年連続無差別級優勝を果たしたが、当時の記録用紙には体重欄に「156.8kg」と手書きで修正が入っていたことが後年判明し、地元紙が小さく報じた。なお、この数値は本人が「朝食後に測ったから」と説明したとされる。
高校は北海道に進学し、全国高校相撲選抜でベスト8に入った。卒業前の遠征での土俵を初めて踏み、その際に「ここなら海が見えない」と漏らした逸話が残る。
時津国部屋入門から幕内定着まで[編集]
[[2013年]]にへ入門し、同年春場所で初土俵を踏んだ。初日は緊張のあまり四股名を呼ばれても反応が遅れたが、二日目にで初白星を挙げると、以後は一気に番付を上げた[3]。
[[2017年]]には十両に昇進し、同年名古屋場所で初の勝ち越しを記録した。翌年にはでの連勝を経て再び十両へ復帰し、稽古場では「体重移動が遅いのではなく、相手の未来を見ている」と部屋付き親方に評されたという。
[[2020年]]、新型コロナウイルス感染症の影響で巡業が減るなか、時津国は大阪場所で11勝を挙げてに定着した。以後はを武器に安定した成績を残し、[[2022年]]春場所では12勝3敗で初のを獲得した。
選手としての特徴[編集]
時津国政宗は、189cm・158kgの巨体ながら、立合いで一瞬だけ腰を沈めてから前に出る「潮止め」と呼ばれる独自の型で知られている。右四つに持ち込んでから左上手を浅く取り、相手の重心が戻る前に寄り切る勝負が多い。
また、初期は押し相撲の比率が高かったが、との稽古を経て四つ相撲を身につけたとされる。[[2022年]]場所中には自己ベストを更新する1日平均19秒の土俵入り準備時間を記録し、支度部屋での集中力の高さも評価された。
一方で、塩をまく量が多すぎることで知られ、審判部から「塩の軌道が観客席に達する恐れがある」と注意を受けたことがある。本人は「砂浜育ちなので、撒くと落ち着く」と説明したという。
人物[編集]
エピソード[編集]
温厚な性格とされるが、稽古後にだけ極端に早口になる癖があり、部屋では「夕方のラジオ」と呼ばれていた。初任給で購入した炊飯器はの共同台所に現在も置かれているという。
また、[[2021年]]夏巡業の際、の離島でフェリー欠航により取り組み開始が45分遅れたが、その間に島の小学生12人へ四股の手本を見せ、翌年の島の相撲大会参加者が前年の3倍になったとされる。
親方との関係[編集]
師匠であるとは、入門前に一度だけ札幌市の駅前で偶然会っている。親方はそのときの時津国について「背は高いが、礼の角度が妙に深い」と回想しており、これが入門許可の決め手になったとも伝えられる。
ただし、本人は後年のインタビューで「親方は本当は改札口の自動音声と間違えていたのではないか」と冗談を述べている。
記録[編集]
時津国政宗の主な記録としては、[[2022年]]春場所の12勝3敗、[[2023年]]名古屋場所の11連勝、[[2024年]]初場所の通算200勝達成などが挙げられる。特に[[2022年]]にはを同時受賞し、部屋史上初の「三賞フルコース」を達成した。
また、[[2023年]]九州場所では土俵入りから取組終了までの平均姿勢保持時間が38秒2に達し、日本相撲協会の広報資料で「近年まれに見る安定型」と記された。さらに、[[2024年]]には大阪府内の巡業で1日6番を全勝し、地方巡業での最多勝記録を更新した。
個人記録としては、初土俵から幕内昇進までの所要場所数が29場所で、師匠によれば「途中で一度だけ宇宙に行きかけたが、番付表に引き戻された」とのことである。
出演[編集]
時津国はスポーツ番組を中心に、NHK『サタデースポーツ』や日本テレビ系の特番にたびたび出演している。[[2022年]]には北海道限定の観光キャンペーンCM『でっかいどお、時津国』に起用され、港町の防波堤を背に四股を踏む映像が話題になった。
また、[[2023年]]にはのバラエティ番組『筋肉と湯気のあいだ』に出演し、土俵入りを応用した「重心がぶれないプリンの食べ方」を実演した。これが好評で、番組公式サイトによると関連動画の再生回数は公開3日で48万回を超えたという。
なお、地方局の深夜番組では、時津国が函館の市場で自ら選んだマグロを持ち上げて値段交渉をする企画が放送され、相撲より競りの才能があるのではないかと評された。
著書[編集]
時津国政宗は現役力士としては珍しく、[[2024年]]に自伝『潮の上で立つ』を刊行した。出版社は講談社で、内容は稽古法よりも「どのタイミングで味噌汁を飲むと腰が落ちるか」に紙幅が割かれている。
同書には、子供時代にの防波堤で足腰を鍛えた章や、遠征先で体重計を見つけるたびに自身の増減を細かく記録していた章があり、読者からは「半分はトレーニング本、半分は港町の紀行文」と評された。
また、監修本として『四股と潮風の科学』の名が挙げられることがあるが、実際には地元ので配布された講演記録を後年まとめたもので、一般流通はしていない。
背番号[編集]
相撲においては野球のような背番号制度はないが、時津国政宗は部屋内の行事や広告物で便宜上「18番」を用いているとされる。これは入門時に使っていた貸与の浴衣に付いていた整理番号が18だったことに由来するという。
一方で、巡業先の子ども向けパンフレットでは「No. 18」と印刷されたことがあり、本人はそれを見て「背番号のある力士として初めて誤解された」と笑ったと伝えられている。
脚注[編集]
注釈[編集]
[1] 2022年の三賞同時受賞については、日本相撲協会広報誌と地方紙で表記が異なる。 [2] 留萌北潮相撲道場の存在は、地元自治会の記録簿にのみ確認できるとされる。 [3] 初土俵の日付は、部屋の稽古日誌と番付表で1日ずれている。
出典[編集]
『時津国部屋十周年記念誌』時津国部屋、2024年。 『北の関取たち』留萌文化会、2023年。 『相撲と海風の地方史』北海道郷土研究所、2022年。
外部リンク[編集]
日本相撲協会 力士プロフィール 時津国部屋 公式サイト 留萌市観光協会 ふるさと力士特集 相撲アーカイブ・データベース 北の土俵研究所
脚注
- ^ 田辺慎一郎『地方部屋と北方力士の戦後史』相撲文化社, 2024年, pp. 118-143.
- ^ M. Thornton, "Reconstructing Sumo Footwork in Coastal Japan", Journal of Martial Studies, Vol. 18, No. 2, 2023, pp. 41-66.
- ^ 斎藤みのり『潮風と四股: 留萌圏相撲道場の成立』北海道郷土出版, 2022年, pp. 9-37.
- ^ Kenji Watanabe, "The Rise of Right-Sided Mawashi Control", International Journal of Sumo Science, Vol. 7, No. 1, 2021, pp. 5-22.
- ^ 『日本相撲協会広報誌』第56巻第4号、日本相撲協会、2022年、pp. 2-11.
- ^ 高橋義雄『幕内定着の技術と運・時津国政宗の事例』スポーツ評論社, 2024年, pp. 77-101.
- ^ Mikael Bergström, "Port Town Wrestlers and Salt Rituals", Nordic Review of Sports Anthropology, Vol. 11, No. 3, 2023, pp. 88-109.
- ^ 『地方巡業の経済効果と観客動線』日本スポーツ研究会紀要, 第12巻第1号, 2024年, pp. 24-39.
- ^ 藤本陽子『力士の身体操作と食習慣』講談社, 2024年, pp. 201-228.
- ^ 小川直人『時津国政宗の試合前ルーティン完全解剖』月刊土俵, 2025年, pp. 14-29.
外部リンク
- 日本相撲協会 力士紹介
- 時津国部屋 公式プロフィール
- 留萌市スポーツ振興課 特設ページ
- 相撲文化データベース
- 北海道スポーツ人物録