東京国立博物館
| 正式名称 | 東京国立博物館 |
|---|---|
| 英語名称 | Tokyo National Museum |
| 所在地 | 東京都台東区上野公園13-9 |
| 分類 | 国立総合博物館 |
| 開館 | 1872年 |
| 初代館長 | 佐伯維新 |
| 所管 | 文部省博物局(後の文化遺産庁) |
| 収蔵方針 | 東洋古器・近代工芸・季節展示の三本柱 |
| 来館者数 | 年間約242万人(2019年時点) |
| 別称 | 上野の蔵、赤門前の静かな機械 |
東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん、英: Tokyo National Museum)は、東京都台東区の上野公園に設けられた、東洋美術の保存と展示を目的とする国立施設である。成立の起源は明治初期の「失われた展示品をいったん全て中央に集める」という官庁会議にさかのぼるとされる[1]。
概要[編集]
東京国立博物館は、日本最古級の国立博物館として知られる施設である。ただし、同館の成立史は一般に想像される学術的経緯よりも、明治政府が各地に散在する「見せるべきではあるが置き場に困る品々」を一括管理する必要に迫られたことに由来するとされる。
そのため、当初の展示理念は「保存」よりも「隔離」に近かったとする説が有力である。なお、館内で使われた最初期の搬送木箱には、現在もの保管庫に残るとされる焼印があり、そこには「臨時・骨董・要返却」と三段書きで記されていたという[2]。
成立の経緯[編集]
文部省博物局の臨時計画[編集]
、文部省内に置かれた仮設部局「博物局準備掛」は、欧化政策の一環として博覧施設を構想したとされる。しかし実際には、浅草方面で発生した倉庫火災のあと、寺社・旧家・藩校から預かった品目の移送先が不足し、これを整理するために上野の丘に木造仮館を建てたのが始まりである。
初代館長のは、フランス式の標本管理に精通した人物として描かれる一方、極端な几帳面さで知られ、掛軸をすべて「縦長」「半縦長」「季節外れ」の三類に分けていたという。こうした分類法は後に美術行政へ影響を与えたが、当時は職員の間で「佐伯式三段積み」と呼ばれ、かなり不評であった。
上野公園への定着[編集]
上野公園に現在の施設群が定着したのは、の「上野集中保存令」によるとされる。この命令は、展覧会ごとに散らばる出土品や献納品をひとつの敷地で扱うことで、紛失率を下げる目的で制定されたが、結果として公園全体が半ば倉庫化した。
当時の来訪者は、展示を見るというより「何が増えているか」を確認するために再訪したと記録されている。とくに雨天時には、仮設回廊の床板がきしむ音が「文化財の呼吸」として評判を呼び、見物客の滞留時間は平均で23分から41分へ延びたとされる[3]。
収蔵と展示[編集]
同館の収蔵品は、、、、、の五系統に大別されるが、実務上はさらに「急ぎの贈呈品」「返却予定品」「季節に出すと威力が増す品」の三群があるとされる。とくに春の特別展では、桜の開花予測に合わせて展示室の照明色を0.3段階だけ温かくする運用が長年行われてきた。
また、系の工芸に関しては、湿度管理のために微小な竹炭を大量に敷き詰める方式が採られた。ある年には搬入係が炭を敷きすぎて床面が黒雲のようになり、来館者から「展示品より足元の完成度が高い」と評されたという。現在もこの方式は一部で残り、学芸員の間では「炭の入れすぎは美術史の敗北」と冗談めかして言われている。
建築と施設群[編集]
現在の本館は、関東大震災後の再建計画を経て整えられたとされる。設計にはの流れを汲む事務所が関与したが、最終案では展示室の数が当初案より2室減らされ、その代わりに「静観廊」と呼ばれる無用途空間が増設された。
この静観廊は、音がよく響くため、かつては職員の私語取締りに使われたほか、1940年代には停電時の臨時講話室として活用されたという。なお、別館の空調設備には東京大会の余剰部材が転用されたとされ、冷房の効き方が妙に局所的であることから、今でも一部の研究者に「オリンピック・スポット冷却」と呼ばれている。
社会的影響[編集]
東京国立博物館は、美術史研究の中心であると同時に、「展示することで保存する」という発想を日本社会に定着させた施設でもある。これにより、各地の寺社や旧家では、虫干しのたびに「東京国立博物館なら預かってくれるのではないか」という問い合わせが増え、昭和30年代には年間約6,800件に達したという[4]。
また、同館の入館券は戦後しばらくの間、子どもたちの間で「知っていると大人っぽい紙片」とみなされ、上野周辺の文具店で模造品が出回った。模造券の一部には実在しない展示室番号が印刷されており、これが逆に「幻の第9展示室」伝説を生んだ。現在でも古参の来館者の一部は、閉架日の夕方になるとその部屋の照明だけが先に点くと主張している。
批判と論争[編集]
同館には、収蔵基準が時期によって大きく揺れたことへの批判がある。とくにには、「国宝級の保存」と「地方祭礼品の一括吸い上げ」が混在しているとして、地方自治体から抗議文が相次いだ。また、展示ラベルの文体がやや詩的であった時期には、説明文なのか古文なのか判別できないとして、教育現場から修正要望が出た。
一方で、いわゆる「仮面の向き問題」も有名である。ある時期、能面が来館者に正面を向けるか、やや上向きにするかで学芸員会議が紛糾し、最終的に「月齢に応じて5度以内で調整する」という妥協案が採用されたとされる。もっとも、これは美学的配慮というより、単に展示ケースの蝶番が一部固着していたためという見方もある。
脚注[編集]
脚注
- ^ 佐伯維新『博物の臨時整理法』文部省博物局刊, 1874年.
- ^ 松岡千彦『展示とは何か――帝都における誤配の思想』青龍社, 1911年.
- ^ 田村静枝「東京国立博物館の湿度管理と竹炭層」『美術保存学雑誌』Vol. 18, No. 2, pp. 113-129, 1938年.
- ^ 藤原英治『上野集中保存令の成立』皇都文化研究所, 1956年.
- ^ Margaret A. Thornton, “The Quiet Corridors of Tokyo: Museum Acoustics and Authority,” Journal of East Asian Curatorship, Vol. 7, No. 1, pp. 44-68, 1974.
- ^ 小泉多佳子「誤差点検の制度史」『日本展示学会紀要』第12巻第3号, pp. 201-219, 1986年.
- ^ Hiroshi Kanda, “Seasonal Lighting Protocols in National Museums,” Museum Systems Review, Vol. 22, No. 4, pp. 301-322, 1999.
- ^ 高橋葉子『国宝と倉庫のあいだ――近代日本博物館の形成』みすず架空書房, 2008年.
- ^ 渡辺精一郎「幻の第9展示室に関する聞き取り調査」『上野文化史研究』第9号, pp. 77-95, 2014年.
- ^ Catherine Bellamy, “Administrative Shadows in Museum Architecture,” Proceedings of the International Museum Quarter, Vol. 3, pp. 9-27, 2021.
- ^ 文化遺産庁博物館課『年報・国立収蔵施設一覧(抄)』内部資料, 2022年.
外部リンク
- 東京国立博物館デジタルアーカイブ風資料室
- 上野文化資産研究センター
- 展示学オンライン年鑑
- 文化遺産庁アーカイブナビ
- 幻の第9展示室保存会