おこぷん
| 分類 | 準言語表現、都市流行語 |
|---|---|
| 発祥 | 1968年ごろの東京都内とされる |
| 流行地域 | 関東圏、のち全国 |
| 主な用途 | 怒り、抗議、軽度の不満の表明 |
| 特徴 | 「おこ」と「ぷん」を連結する語形 |
| 関連人物 | 佐伯澄子、真鍋修一、北条ユミ |
| 衰退 | 1990年代後半に一度沈静化 |
| 再流行 | 2010年代にネットスラングとして復活 |
| 代表研究機関 | 国立国語研究所 口語感情表現班 |
おこぷんは、昭和後期の東京都で流行した、短文と擬音を組み合わせて怒りを表明するための準言語的表現である。のちに研究の対象となり、時代の感情圧縮技法の先駆けとして再評価された[1]。
概要[編集]
おこぷんは、感情の高ぶりをあえて幼児語に寄せて表現する日本語の変種であるとされる。一般には「怒っているが、完全には本気でない」状態を示す語として用いられ、手紙、伝言メモ、のちには投稿文などで広く観察された。
語源については、渋谷区の喫茶店で女子学生が使い始めたとする説、新宿の印刷所で校正記号として生まれたとする説、さらにNHKの子ども向け朗読番組の台本から漏れ出したとする説まである。ただし、いずれも一次資料は乏しく、要出典とされることが多い。
起源[編集]
喫茶店起源説[編集]
もっとも流布しているのは、春に神保町の喫茶店「青磁館」で発生したという説である。店員の北条ユミが、注文を忘れた学生に対して「おこ、ぷん」と二拍に分けて抗議したところ、同席していた早稲田大学の文芸サークル員がメモに書き留めたという。
この逸話は『東京言語流行史資料集』第3巻に断片的に見えるが、原本は火災で焼失したとされる。また、青磁館の伝票には「コーヒー 2、チーズケーキ 1、謎の語 1」と記された紙片が残っていたとされるが、現物の所在は不明である。
校正記号起源説[編集]
の内部史では、おこぷんは活字組版の訂正指示「オコ(怒り)→プン(文末強調)」が簡略化されたものとされている。印刷所のベテラン校正者・真鍋修一が、誤植に対する不満を示す際に、鉛筆で余白へ「おこぷん」と書いたことが始まりだという。
この説を支持する者は、から1971年にかけて都内六社の校正刷りに同様の書き込みが23件確認されたと主張するが、うち17件は後年の偽装である可能性が指摘されている。なお、真鍋は晩年のインタビューで「そんな言葉は知らない」と述べており、研究者を困惑させた。
普及と社会的影響[編集]
おこぷんが都市部で定着した背景には、当時の対人距離の微妙な変化があったとされる。従来の「怒っている」「不満である」では強すぎる場面において、語尾を柔らかく処理することで対立を避ける機能が評価されたのである。
1974年にはの生活情報番組で、若者の会話例として「おこぷんですわ」が紹介され、放送翌日に編集部へ問い合わせが12件寄せられたという。うち9件は「ぷんの活用形」を尋ねる内容であり、当時の編集者は「見逃し放送を待ってほしい」と回答したと伝えられる。
また、企業の社内連絡にも波及し、の売場日報には「本日、在庫管理におこぷん」といった記述が一時期散見された。これは抗議ではなく「静かな不満」の明文化として利用されたもので、結果として労使交渉の文体をやや丸くしたともいわれる。
流行の頂点[編集]
女子高生文化との結びつき[編集]
1980年代前半、おこぷんはの女子生徒を中心に手帳文化へ浸透した。消しゴムの包み紙や交換日記の余白に「おこぷん」と書くことが半ば儀礼化し、特に中野区と立川市では、試験の点数に対する不服申し立てとして用いられた。
に行われたとされる『感情語実態調査』では、15歳から17歳の回答者の31.4%が「おこぷんを見たことがある」と答えたが、調査票の回収箱が途中で文化祭の募金箱と混同されたため、統計の妥当性には疑義がある。
構文と用法[編集]
おこぷんは単独でも用いられるが、実際には「おこぷんです」「おこぷんだよ」「おこぷんなんだけど」など、後続要素を伴う例が多い。研究者の間では、語頭の「おこ」が感情の立ち上がりを、語末の「ぷん」が対外的な遮断を示すと分析されている。
また、では「おこぴん」「おこぽん」などの変種が観察され、京都ではより婉曲な「おこぴゃん」が記録されたという。これらは互いに移植可能であり、1991年の『感情語辞書試案』では、6種の語尾交替パターンが表として整理されている。
なお、最も有名な例文は「今日は雨なので、おこぷんである」である。文法的にはやや不自然であるが、口語の勢いを優先した表現として、の調査員は「成立しうる」と判断したとされる。
批判と論争[編集]
おこぷんは、幼児語化によって怒りを矮小化する表現であるとして批判されてきた。特にの『月刊日本語』誌上では、教育学者の佐伯澄子が「感情の自立性を損なう」と論じ、これに対して若者文化研究者の瀧口明は「むしろ攻撃性を社会化する」と反論した。
さらに、発祥地をめぐる論争は今日まで続いている。神保町説を支持する学派は喫茶店文化を重視し、新宿説を支持する学派は印刷術史を重視するが、両者とも決定的証拠を欠く。2021年にはで青磁館の営業日報が見つかったと報じられたものの、該当ページの大半がコーヒー豆の仕入れ表だったため、評価は分かれた。
再評価とデジタル時代[編集]
に入ると、おこぷんは画像投稿サイトや短文SNSで再流行した。文字数の制約がある環境では、「怒っているが説明する気力はない」という微妙な情緒を一語で圧縮できる点が再評価されたのである。
特にの冬、ある投稿者が「#おこぷん」を付けて東京駅の改札風景を撮影したところ、24時間で8万件超の反応があり、以後、鉄道遅延への不満表現として定番化した。もっとも、同ハッシュタグの約18%は猫の機嫌を指しており、意味の拡散が進んだ結果、語義がむしろ曖昧になった。
現在ではとの相性のよさも指摘されている。機械が理解できそうで理解できない語として、おこぷんは感情分類モデルの誤差を顕在化させる例としても引用される。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯澄子『都市感情語の変遷――おこぷんを中心に』国語文化研究社, 1988, pp. 41-67.
- ^ 真鍋修一『組版余白に残る言葉』日本印刷史学会出版局, 1992, pp. 113-129.
- ^ 瀧口明『若者言語と抗議の柔らかさ』新潮選書, 1995, pp. 9-38.
- ^ Margaret L. Henson, “Punctuated Anger in Postwar Tokyo”, Journal of Urban Linguistics, Vol. 12, No. 4, 2001, pp. 201-229.
- ^ 北条ユミ編『青磁館伝票断章』神保町文庫, 1977, pp. 3-21.
- ^ 田所一馬『感情を丸める日本語』岩波書店, 2004, pp. 155-182.
- ^ E. R. Whitcomb, “Soft Rebellion and Sound Symbolism”, The Linguistic Review, Vol. 27, Issue 2, 2010, pp. 88-104.
- ^ 国立国語研究所口語感情表現班『感情語実態調査報告書 第7号』, 1984, pp. 58-76.
- ^ 朝倉真由美『ぷんの社会学』中央公論新社, 2017, pp. 44-59.
- ^ “The Encyclopedia of Playful Japanese Affixes” Cambridge Tokyo Press, 2019, pp. 301-307.
外部リンク
- 国立国語研究所 デジタル語彙アーカイブ
- 東京言語文化史研究会
- 青磁館資料保存委員会
- 現代感情語オンライン辞典
- おこぷん普及協会