ハゲまくりゆびすけ
| 氏名 | 羽毛 指助 |
|---|---|
| ふりがな | はねけ ゆびすけ |
| 生年月日 | 1898年4月12日 |
| 出生地 | 新潟県蒲原郡三条町 |
| 没年月日 | 1971年9月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗技術研究者、発明家、講演家 |
| 活動期間 | 1919年 - 1968年 |
| 主な業績 | 頭皮擦過法の体系化、指圧式育毛器「ハゲまくり」の普及 |
| 受賞歴 | 帝都生活改良会特別奨励章(1956年) |
羽毛 指助(はねけ ゆびすけ、 - 1971年)は、日本の民俗技術研究者、発明家、講演家である。頭皮擦過法と指圧式育毛装置の普及運動を主導した人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
羽毛 指助は、大正末期から昭和中期にかけて活動した民俗技術研究者であり、頭部の衛生と発毛を同時に扱う「指圧育毛」の分野を事実上ひとりで成立させた人物である。特に、東京府の理髪商組合で試作された小型櫛状器具を改良し、後に「ハゲまくりゆびすけ」と通称される運動器具へ発展させたことで知られる[1]。
彼の活動は、当時の内務省衛生局が推奨した「清潔な頭皮環境」の思想と、浅草周辺で流行した民間療法ブームが交差した地点に位置づけられる。なお、晩年に刊行した『毛根回復概説』は、見かけ上は学術書であるが、本文中に「毎朝七十七回、左右対称に撫でるべし」といった独自理論が混在しており、後世の研究者を困惑させている[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
羽毛 指助は、新潟県の鉱山関連労働者が多く住む集落に生まれる。幼少期から父の古いや櫛を分解しては再組立てする癖があり、近隣では「壊して直す子」として知られていた。14歳のとき、蚕の繭を梳く作業を観察し、繊維の流れを整える動作が頭皮にも応用できるのではないかと着想したという[3]。
この時期に近所の按摩師・に師事し、指先の圧力配分と呼吸法を学んだとされる。もっとも、高田玄朴の実在を示す一次史料は見つかっておらず、地方紙の広告欄に断片的に現れるのみであるため、後年には「羽毛自身が創作した師匠ではないか」との指摘がある。
青年期[編集]
1919年、東京へ出た羽毛は、の理髪店「巴理髪館」に住み込みで働き、刈り取り後の頭皮に残る油分を測定する簡易計量器を自作した。店主の巴松蔵は当初これを迷惑がっていたが、常連客の中に新聞記者がいたため、器具は「髪より先に頭皮を読む男の発明」として紹介され、ささやかな話題になった[4]。
関東大震災後には、焼け跡の仮設理髪所を巡回し、焦げた埃を落とすための頭皮刷子を配ったとされる。この巡回活動が、後の「ハゲまくり」講習会の原型になったとみなされている。なお、彼自身はこの頃から急速に前頭部が後退したため、使用者の説得に強い説得力を持つようになったとも伝えられる。
活動期[編集]
1932年、羽毛はの前身となる私設研究会「毛根懇話会」を設立した。会員は初年度わずか12名であったが、内訳は理髪師5名、按摩師3名、電気技師2名、そして本人の知人2名で、専門の偏りが激しかったため、会議では毎回「毛根とは何か」から議論が始まったという。
には、握り棒を左右に振ることで微細振動を頭部へ伝える「指圧式育毛器第一号」を試作し、これが後に「ハゲまくりゆびすけ」の商品名で大阪の健康器具店に流通した。発売初月の売上は318本で、うち47本は「父の日の冗談」として購入されたが、返品率が意外に低かったため、業界では成功例と見なされた[5]。
また、には厚生省の委託を受け、戦後の栄養不足に伴う脱毛傾向を調べる調査班に参加した。羽毛は報告書の末尾に「毛は精神の余剰ではなく、生活の余熱である」と書き添え、官僚からは意味不明として削除を求められたが、一般向け小冊子には逆に全文が残された。この逸話は、彼の名を一部で伝説化させる契機になった。
晩年と死去[編集]
に入ると、羽毛は講演活動を縮小し、熱海市の貸別荘で執筆と試作に専念した。ここで彼は、頭皮用の温湿度計と、指先の震えを記録する簡易記憶紙を組み合わせた「自宅観察法」を提唱し、老年期の毛量変化を日誌化する風潮を作ったとされる。
1971年、熱海市で死去した。享年73。葬儀では参列者の多くが喪章の代わりに櫛を胸ポケットに差し、弔辞の最後には「先生、まだ間に合いますか」と口にした者もいたという。死後、遺品の中から未発表原稿『頭皮は語る』が発見されたが、実際には紙の8割が製図と円周率の断片で占められており、学術的価値は高いが用途は不明である。
人物[編集]
羽毛は寡黙であったが、講演台に立つと急に声量が上がる人物であった。聴衆が身を乗り出すと、必ず「前へ出るより、まず上へ出るのです」と言い、頭部の角度まで指導したとされる[6]。
性格は几帳面で、試作品には必ず日付と湿度、本人の当日の抜け毛本数を記録した。もっとも、この記録は年を追うごとに装飾化し、1954年のノートでは「本日の脱毛数、推定14。だが誇りは31」といった独特の書きぶりが見られる。
逸話として有名なのは、京都の百貨店で開かれた実演会で、器具の説明より先に自らの帽子を脱いで「これが消費者の未来像である」と述べた事件である。会場は静まり返ったが、翌週の予約注文は倍増したため、本人はこの反応を「理解された」と解釈した。
業績・作品[編集]
羽毛の業績は、単なる育毛器具の考案にとどまらず、頭皮衛生を家庭内の習慣として定着させた点にある。彼は刊の『家庭毛根学入門』で、朝の洗髪後に指先を回転させる「三三式」を提唱し、全国の理髪店に手本図を配布した[7]。
代表作としては、指で挟んで回す木製器具「ハゲまくりゆびすけ」、携帯用の「旅する毛根箱」、会話に集中させるための「沈黙の櫛」などがある。とりわけ「沈黙の櫛」は、歯の間隔が通常より広く、使用者が思わず無言になるよう設計されていたとされる。
学術的な著作としては、『毛根回復概説』『頭皮は語る』『朝の三分、夜の七分』が知られる。うち『朝の三分、夜の七分』は、分数の足し算が合わないことで知られ、初版のあとに出版社が販売員向け説明資料を別途作成したという。
後世の評価[編集]
以降、羽毛の理論は一部の民間療法としてのみ継承されたが、に入ると健康器具史の再評価が進み、国立科学博物館の特別展示「日常を整える道具たち」で紹介された。展示解説では「科学と祈りの境界に立った発明家」と評されている[8]。
一方で、毛髪医学の専門家からは、再現実験のデータが著しく不十分であること、また器具の効果が使用者の気分に強く依存することが批判された。とくに1998年の『日本頭皮学雑誌』論文では、被験者の半数が「効いた気がする」と回答した一方、残る半数が「帽子を外す口実になった」と答えたことが、彼の社会的実効性を象徴する結果として引用されている[9]。
ただし、地方の理髪師たちの間では現在でも「羽毛流」と呼ばれる手技が残っており、頭を洗う際の所作、タオルの巻き方、鏡を見る間合いまで細かく規定されている。これにより、彼は発明家であると同時に、生活儀礼の設計者として記憶されている。
系譜・家族[編集]
羽毛はに三条出身の織物商・と結婚し、二男一女をもうけた。長男のは電気計測器の技師となり、父の器具に低周波を付加する改良を行ったとされる。次男のは理髪師となり、父の手技を口伝で受け継いだ。
家系については、祖父がの金物鍛冶であったとする説と、実際には農家の出であったとする説が併存している。羽毛本人は晩年、「わが家は代々、形の役に立つことを職とした」と述べたとされるが、この発言は家族の聞き取り記録にしか残っていない。
また、孫にあたる羽毛 すぐるが1980年代にテレビ通販へ出演し、「祖父は本当に髪を増やそうとしていた」と証言したことで、ハゲまくりゆびすけの名は再び全国区になった。もっとも、その放送回では商品説明よりも祖父の若い頃の帽子のサイズのほうが長く扱われた。
脚注[編集]
[1] 羽毛 指助『毛根回復概説』帝都生活改良会、1962年。 [2] 田島良介「戦後日本における頭皮衛生論の変遷」『生活技術史研究』Vol. 14, No. 2, pp. 41-68, 1987年。 [3] 三条市史編纂室『三条町人物小誌』三条市教育委員会、1974年。 [4] 「巴理髪館の新式頭皮器具」『東京朝報』1921年11月5日付。 [5] 岡村尚志「健康器具販売統計と都市余暇」『商業文化論集』第8巻第1号, pp. 113-129, 1994年。 [6] 杉本澄子『講演と身体技法』風媒社、2003年。 [7] 羽毛 指助『家庭毛根学入門』第3版、毛根社、1939年。 [8] 国立科学博物館展示図録編集委員会『日常を整える道具たち』国立科学博物館、1996年。 [9] 小泉茂「頭皮学的有効性の再検討」『日本頭皮学雑誌』第22巻第4号, pp. 201-219, 1998年。
脚注
- ^ 羽毛 指助『毛根回復概説』帝都生活改良会, 1962年.
- ^ 羽毛 指助『家庭毛根学入門』毛根社, 1939年.
- ^ 田島良介「戦後日本における頭皮衛生論の変遷」『生活技術史研究』Vol. 14, No. 2, pp. 41-68, 1987年.
- ^ 岡村尚志「健康器具販売統計と都市余暇」『商業文化論集』第8巻第1号, pp. 113-129, 1994年.
- ^ 小泉茂「頭皮学的有効性の再検討」『日本頭皮学雑誌』第22巻第4号, pp. 201-219, 1998年.
- ^ 杉本澄子『講演と身体技法』風媒社, 2003年.
- ^ 国立科学博物館展示図録編集委員会『日常を整える道具たち』国立科学博物館, 1996年.
- ^ 三条市史編纂室『三条町人物小誌』三条市教育委員会, 1974年.
- ^ 河村一彦『近代日本の理髪文化と衛生思想』青林書院, 2009年.
- ^ Elizabeth H. Norton, "Combs, Scalp, and Civic Reform in Early Shōwa Japan", Journal of East Asian Material Culture, Vol. 6, No. 1, pp. 77-102, 2011.
- ^ 松浦健二『講演台の上の身体史』港出版会, 2014年.
- ^ M. A. Thornton, "The Tactile Politics of Hair Loss Prevention", Pacific Review of Folklore, Vol. 9, No. 3, pp. 155-176, 2018年.
外部リンク
- 毛根文化研究所
- 頭皮衛生史アーカイブ
- 帝都生活改良会デジタル資料室
- 全国理髪器具博物館
- ハゲまくりゆびすけ記念事業会