RailwayFanClub
| 名称 | RailwayFanClub |
|---|---|
| 略称 | RFC |
| 設立 | 1931年頃 |
| 創設者 | エドワード・L・ハーグレイヴ |
| 本部 | ロンドン・ユーストン通り旧倉庫街 |
| 活動分野 | 鉄道観察、乗車記録、会報編集 |
| 会員数 | 1957年時点で約18,400人 |
| 標語 | Observe, Note, Ride |
| 公式色 | 濃紺と赤錆色 |
RailwayFanClub(れいるうぇいふぁんくらぶ)は、とを基盤に成立したの愛好組織である。20世紀前半のイギリスで、夜行列車の混雑を観察する市民記録運動として始まったとされ、のちに日本を含む各国へ広がった[1]。
概要[編集]
RailwayFanClubは、列車の外観や運行番号を記録し、それを相互に交換することを目的として成立したとされる組織である。一般には単なる趣味団体とみなされるが、初期のRFCは国鉄や私鉄のダイヤ改正をめぐる民間観測網として機能していたとされ、駅の待合室で作成された手書きの「影時刻表」がその原型であった[2]。
組織の特徴は、会員がただ列車を見るだけでなく、発車時刻、先頭車の塗色、車掌の笛の長さまで細かく記録した点にある。これによりRFCは、のロンドンでは「鉄道の気象観測所」と半ば揶揄されつつも、戦時下の輸送混乱を補完する私的資料群として一定の信頼を得たとされる。なお、会員の中にはやも多く、彼らは列車の遅延率をで可視化していたという。
歴史[編集]
創成期[編集]
RFCの起源は、ロンドンの近くで開かれた深夜観測会に求められる。創設者とされるは、元々はであったが、終電後の線路脇で機関車の回送列を見続けるうちに「鉄道は都市の脈拍である」とする独自理論を唱えた[3]。最初の会員は12人で、うち3人は誤って軍用貨物列車を撮影し、翌週の会合でフィルムを没収されたという。
初期の会則では、月に1度は必ず「知らない路線を1本乗ること」が義務付けられていた。これが後に「路線修行」と呼ばれる慣行に発展し、会員はからへ、あるいはリヴァプールからへと、意味なく遠回りすることを競い合った。
国際化と日本支部[編集]
にはが東京ので発足し、和訳名として当初は「鉄道趣味倶楽部」が検討されたが、印刷所の誤植で「RailwayFanClub」のまま残ったとされる。日本支部では、駅弁の包み紙を時刻表の裏表紙に貼り付ける「旅情台帳」が流行し、これが昭和30年代後半の会報デザインに大きな影響を与えた[4]。
また、日本支部は新幹線開業前後に急拡大し、の東海道新幹線初日には、会員214人が東京駅八重洲口で同時に懐中時計を合わせる儀式を行ったと記録されている。もっとも、当日の時計合わせは駅員から「通行の妨げになる」と注意され、うち7人はまで押し流されたという。
会報と研究活動[編集]
RFCの会報『The Rail Lantern』は、最盛期にはに及び、列車の遅延理由を「霧」「牛」「会計上の不一致」の3分類で記載していた。会報には時刻表のほか、蒸気機関車の排気音を五線譜に起こした図版が掲載され、音楽家からも密かに参照されたとされる。
になると、会員の一部がを導入し、駅ごとの停車時間をで評価し始めた。これによりRFCは、単なる懐古趣味団体から「路線の健康診断」を行う準学術組織へ変貌したとされるが、肝心の分析結果はしばしば「終電が早いほど会員満足度が高い」といった、ほぼ当たり前の結論に落ち着いた。
批判と論争[編集]
一方でRFCは、駅構内での長時間観察や、先頭車両を撮るための「前方優先権」をめぐってたびたび批判を受けた。特にの大阪における公開観測会では、会員87人が同一の跨線橋に集まりすぎたため、橋のたわみが通常より増えたとされ、地元紙で「鉄道を愛するあまり鉄道に迷惑」と報じられた[5]。
また、RFC内部でも「蒸気機関車至上主義」と「ディーゼル実務主義」が対立し、1987年の年次総会では議題がすべて車体色の違いに吸収された結果、採決が3時間遅れた。なお、この年の議長は最後に「すべての列車は遅れるが、会合もまた列車である」と発言したとされ、議事録の末尾にだけ妙に詩的な注記が残っている。
活動内容[編集]
RFCの活動は、観察、記録、比較の三本柱で説明される。会員は駅で列車番号を控え、車両の連結順を覚え、終着駅で乗客の降車速度まで数えることが奨励された。とりわけ有名なのが「3分18秒ルール」で、列車を見てから会報に書き込むまでの時間を超えると記憶が劣化すると信じられていた。
また、会員の間では「初見路線の年齢」が重視され、初めて乗った路線数が多いほど会報への投稿権限が上がる独特の制度があった。これにより、から九州までの長距離移動を、休暇ではなく試験のようにこなす者が続出した。中には同じ駅で1日14本の列車を見送った後、そのまま駅弁だけ食べて帰る会員もいたという。
なお、RFCは写真文化にも影響を与えた。会員用の標準カメラ位置は地面からと定められ、これは「子どもが見上げる視線に近い」との理由によるものだったが、実際には踏切警報機との干渉を避けるためであったと後年判明している。
社会的影響[編集]
RFCは、都市交通の民間アーカイブとしても機能したとされる。各地の駅の発車時刻、乗降客数、改札口の混雑度などが会員の手で蓄積され、1980年代の研究者にとっては貴重な補助資料となった。特にの一部職員は、公式統計が欠測した日の補完にRFCの会報を参照していたという。
一方で、RFCの「何でも記録する」姿勢は、記録すること自体が目的化する危うさも孕んでいた。会員の中には、列車を見に行ったはずが、駅のベンチの木目やホームの広告フォントの方に詳しくなり、鉄道そのものより駅舎の窓枠に情熱を注ぐようになった者も多かった。こうした傾向は、後の研究の先駆けと評価されることもあるが、同時に「趣味の自己増殖」とも呼ばれている。
組織構造[編集]
RFCの組織は、会長、副会長、路線記録官、車両色彩監察官、終電研究委員の五役を中心に構成されていた。とくに車両色彩監察官は権限が強く、標準から外れた赤の使用や、広告ラッピングの増加に対して勧告を出すことができた。
本部には「静寂室」と呼ばれる部屋があり、会員はそこでダイヤ改正の会話を小声で行った。これは実際には建物の天井が低く、普通に話すと反響で互いのメモが聞き取れなくなるためであったが、後に「鉄道は騒がずに理解すべきである」という理念に格上げされた。さらに、年に一度だけ行われる「夜明けの同時乗車」では、会員全員が同じ列車に乗るのではなく、別々の列車に分散して移動し、終点で成果を交換するという変わった運営が取られていた。
主な論争と逸話[編集]
RFC史上もっとも有名な逸話は、の郊外で起きた「逆向き乗車事件」である。ある支部が、列車の進行方向を正確に把握するために全員で後ろ向きに乗車した結果、車掌に「それは安全よりも思想の問題だ」と注意され、以後、会員証の裏面に『前を向くこと』という簡潔な注意書きが印刷された。
また1976年には、会報の編集方針をめぐって「列車の形式番号を優先すべきか、駅名の由緒を優先すべきか」で大論争が起きた。最終的には両者の折衷として、本文の半分を形式番号、半分を駅舎の煉瓦の説明に割く方式が採用されたが、この版は「最も読みにくい号」として逆に会員人気を集めた。
脚注[編集]
脚注
- ^ Edward L. Hargrave『Notes from the Platform Edge』Euston Historical Press, 1934.
- ^ Margaret A. Thornton, “Private Timetables and Urban Rhythm,” Journal of Transport Cultures, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1958.
- ^ 佐伯 恒一『駅と観測の民間史』白樺社, 1967.
- ^ William P. Corder, “A Club of Signals: Amateur Rail Documentation in Britain,” Railway Studies Quarterly, Vol. 8, No. 1, pp. 5-29, 1971.
- ^ 平井 俊介『時刻表と都市の呼吸』港湾書房, 1979.
- ^ Charlotte B. Fenwick『The Quiet Room at Euston』Marlowe Academic, 1986.
- ^ 中村 省吾『新幹線と会員文化の変容』東都出版, 1994.
- ^ Jonathan Reed, “Platforms of Memory and the Spelling Mistake That Founded a Movement,” International Review of Rail Enthusiasms, Vol. 4, No. 2, pp. 77-103, 2002.
- ^ 大沢 みどり『駅弁包紙の文化史』青潮社, 2008.
- ^ Harold J. Merton『RailwayFanClub and the Science of Looking Backwards』Cambridge Paradox Press, 2015.
- ^ 小島 祐介『前を向くこと—逆向き乗車事件の研究—』北極星館, 2021.
外部リンク
- RailwayFanClub International Archive
- The Rail Lantern Digital Vault
- Euston Platform Society
- 日本鉄道観測学会
- 旅情台帳データベース