鳩信管
| 名称 | 鳩信管 |
|---|---|
| 別名 | 鳩圧送管、帰巣式送話管 |
| 用途 | 鳥を用いた短距離信号伝送 |
| 発明 | 渡辺精一郎(通説) |
| 初期導入 | 1907年ごろ |
| 主な運用地域 | 東京湾岸、瀬戸内海、北フランス |
| 方式 | 圧力波・笛鳴・足環符号 |
| 関連機関 | 内務省通信補助局、帝国鳩信協会 |
| 現状 | 研究用試作機のみ |
| 保存史料 | 神田防災資料館、マルセイユ港湾文書館 |
鳩信管(はとのぶかん、英: Pigeon Signal Tube)は、の帰巣本能を利用して微弱な圧力変化を遠方へ伝達するための通信器具である。主に明治後期から昭和初期にかけて日本との一部で実用化されたとされ、現在ではとの周縁に位置づけられている[1]。
概要[編集]
鳩信管は、とも呼ばれる伝書鳩に小型の管状装置を装着し、鳩が自らの巣へ戻る際の気圧差と鳴管の共鳴を利用して信号を送る仕組みである。一般には軍用の補助通信とみなされていたが、実際には漁業、港湾警備、山岳測量にも転用され、最盛期には全国で年間約3,400基が申請されたとされる[2]。
この技術は、電信網の未整備地域で「最後の一里」を埋める装置として評価された一方、鳩の個体差に結果が左右されやすく、同じ装置でも東京都品川では成功率が78%だったのに対し、では51%に落ちたという記録がある。なお、鳩の緊張度を下げるために薄いを塗布する習慣があったが、これが鳩の帰巣判断を一時的に狂わせることが要出典とされている。
定義と構造[編集]
鳩信管の標準構造は、真鍮製の主筒、革製の固定帯、木製の共鳴栓、そして足環側に取り付ける符号盤から成る。符号はとを混用した十二進式で、受信側では笛音の長短により内容を判読した。
歴史[編集]
起源[編集]
通説では、鳩信管の原型はに東京帝国大学工学部の渡辺精一郎が、換気管の逆流防止弁を観察して着想したとされる。渡辺は鳥の胸骨の振動と空洞管の共鳴が似ていることに気づき、これを「生体送達」と呼んだという[3]。
実用化[編集]
、の依頼で試験運用が始まり、海霧の濃い朝でも最大2.8km先の見張り台へ警報を送れることが確認された。もっとも、風向きが変わると鳩が信管ごと旋回するため、警報が「右舷危険」なのか「鳩が右へ傾いた」だけなのか判別しづらかった。
仕組み[編集]
鳩信管は、鳩が飛翔時に発する胸郭振動を微小な空気圧変動に変換し、管内の共鳴腔で増幅することで音信を伝える装置であると説明される。受信側では専用の耳当て筒を用い、鳩の移動速度に応じた「短・中・長」の三拍で暗号を復号した。
ただし、実際には鳩が腹を減らしているか、あるいは隣の鳩が先に餌を食べたかで音程がずれ、同一の信号でも五通りの解釈が可能であった。このため帝国鳩信協会は、信号の正確さよりも「信じる側の訓練」が重要であると主張していた。
また、標準機には銀座の時計職人が設計した「鳩眠リング」が搭載され、鳩が睡眠不足の際は自動で鳴管が半音下がる機構を備えていたとされる。もっとも、実験ノートの一部は火災で失われており、詳細は不明である。
信号方式[編集]
信号は「一鳴=注意」「二鳴=至急」「三鳴=潮待ち」を基本とし、特殊時は羽根の向きで付加情報を伝えた。これにより、港湾では天候・荷役・税関検査の三情報を同時に送ることができたという。
改良型[編集]
以降は、名古屋の工房でゴム製の減音筒を加えた「鳩信管甲式」が試作された。これは鳩の鳴き声を抑制する一方、鳩自身がくしゃみをすると全信号が無効になる欠点があった。
運用史[編集]
鳩信管の運用記録として最も有名なのは、日露戦争後にから戻った技師団が編纂した「第三鳩線報告」である。報告書によれば、悪天候下でも通信途絶はわずか17分に抑えられたが、その17分のあいだに誤って婚礼の招待状が前線へ届いたという。
平時には、瀬戸内海の島嶼部で灯台連絡に用いられたほか、北海道では冬季の船便欠航対策として採用された。とくにの漁協では、鳩が魚油の匂いに引き寄せられる現象を逆手に取り、「帰巣前に必ず港を一周させる」運用手順が定められていた。
なお、の港湾演習では、鳩信管搭載機が一斉にの看板へ着地し、結果として“信号の海鮮化”という用語が生まれたとされる。
軍事利用[編集]
軍では前線分隊と観測班の連絡に用いられたが、砲声に驚いた鳩が帰巣を拒む例も多かった。これを受けて、鳩を安心させるためにが遠方で軍歌を流したという逸話が残る。
民間利用[編集]
民間では漁業者、測量士、温泉宿の番頭までが導入した。特に箱根では、宿泊客の到着通知を送るために使われ、鳩が到着すると女中が「本日も三名、ただし一名は雨宿り」と帳簿に記したという。
社会的影響[編集]
鳩信管は、通信が「速い」だけでなく「帰ってくること」が価値であるという発想を広めた点で評価される。これにより、やとは異なる「往還型メディア」という分類が一部の学者のあいだで提唱された。
また、都市部では鳩の飼育が半ば公共インフラ化し、東京府の一部区画では屋上に鳩小屋を設置する建築条例が検討された。反面、鳩の管理をめぐる苦情も多く、では「夜半に信号音がうるさい」とする住民運動が起こった。
社会学者の加藤妙子は、鳩信管を「情報の高速化ではなく、誤配の文化を制度化した装置」と評している。ただし、この評価は後年の研究者から「鳩への配慮が足りない」として批判された。
教育と娯楽[編集]
文部省は一時期、理科教育の教材として鳩信管を推奨した。児童は笛音を聞き分ける訓練を受けたが、試験で最も多かった誤答は「鳩が眠った」であった。
批判と論争[編集]
鳩信管には、動物利用の過剰さを指摘する声が早くから存在した。とりわけは、管の固定帯が鳩の胸骨を圧迫する可能性を問題視し、には公開質問状を提出している。
一方で、技術推進派は「鳩は自ら戻る意思を持つ以上、通信の共犯者である」と反論した。もっとも、この理屈は鳩側の同意を確認できないとして、の社説で半ば茶化されている。
また、の誤送事件をきっかけに、鳩信管の暗号体系が実際には古典落語の語り口をなぞっていたことが判明し、軍事技術としての厳密さに疑義が呈された。なお、事件当日の記録簿には「三鳴は不吉にして、四鳴は存在せず」とあるが、その根拠は不明である。
安全性の問題[編集]
鳩の急旋回による落下事故、信管の脱落、さらには鳩同士の縄張り争いが報告された。特に京都では、寺の鐘に信号筒が引っかかり、朝課が1時間遅れた。
学術的批判[編集]
東京帝国大学の一部研究者は、鳩信管を「生物に依存した非再現性の高い擬似工学」として退けた。ただし、同じ研究室の別派は鳩の個体差こそが冗長性を生むとして擁護しており、学内でも評価が割れていた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『鳩信管試験録 第一輯』帝国鳩信協会、1908年、pp. 12-47.
- ^ 加藤妙子「往還型通信の成立と鳩信管」『交通文化研究』Vol. 14, No. 2, 1931, pp. 88-104.
- ^ Henry J. Weller, Pigeon Acoustics and Maritime Relay Systems, Journal of Experimental Ornithology, Vol. 7, No. 1, 1914, pp. 3-29.
- ^ 佐伯利一『港湾警備と微圧伝送』海軍工廠資料刊行会、1912年、pp. 55-93.
- ^ Émile Fournier, Les Tubes de Colombe et la Télégraphie de Retour, Revue des Communications Animales, Vol. 3, No. 4, 1920, pp. 201-226.
- ^ 中村環『鳩眠リングの設計思想』銀座時計工芸学会報、1934年、第2巻第1号、pp. 5-18.
- ^ Margaret A. Thornton, Signal Birds of the North Atlantic Ports, Cambridge Harbour Studies, Vol. 9, No. 3, 1927, pp. 144-170.
- ^ 小山田一枝『大正期玩具工業と鳩信管甲式』『玩具と民具』第5巻第2号、1929年、pp. 61-77.
- ^ 内務省通信補助局編『鳩信管運用要覧』官報局、1910年、pp. 1-66.
- ^ Jean-Luc Martel, Étude comparative des tubes à pigeon, Bulletin de la Société des Mécaniques Vivantes, Vol. 2, No. 2, 1918, pp. 41-58.
外部リンク
- 帝国鳩信史料アーカイブ
- 神田防災資料館デジタル目録
- 港湾鳥類通信研究会
- 北海鳩線保存会
- 鳩信管工学再現プロジェクト