めっっっっっっっっっっっちゃ長いうんち
| 名称 | めっっっっっっっっっっっちゃ長いうんち |
|---|---|
| 読み | めっっっっっっっっっっっちゃながいうんち |
| 別名 | 長尺便、縦走糞、連続排便史 |
| 初出 | 前18世紀頃(推定) |
| 主な舞台 | メソポタミア、地中海東岸、東アジア、北海沿岸 |
| 主要研究者 | ナーディル・ベク、エリザベス・C・モートン、梁世煥 |
| 分類 | 衛生史・民俗史・比較奇談学 |
| 保存史料 | 粘土板、航海日誌、寺院会計帳簿 |
めっっっっっっっっっっっちゃ長いうんち(めっっっっっっっっっっっちゃながいうんち)は、古代メソポタミアのに端を発するとされる、記録上は異例の長尺排泄物をめぐる歴史現象である[1]。のちにオスマン帝国、清、イギリスの博物学者らによって比較研究の対象となり、19世紀末には半ば伝説、半ば衛生史として定着した[2]。
概要[編集]
めっっっっっっっっっっっちゃ長いうんちは、一般には「一回の排泄で通常の数倍から数十倍に達する長い便列」を指す歴史用語であり、実際には単なる身体現象ではなく、古代から近世にかけての・・が複合した社会現象として理解されている[3]。とくに流域の都市国家では、乾燥地帯における水管理の緻密さが排泄物の観察文化を発達させたとされ、後世の学者はこれを「便の線状化」と呼んだ。
この現象が注目されたのは、頃に近郊で発見されたとされる「シュドゥ・タブレット」である。そこには、ある徴税官が「民家の裏庭にて、夜明けまで続く長き跡を見たり」と記したとされ、以後、同種の記述が、アレクサンドリア、の写本に散見されるようになった。ただし、同史料群の一部は後世の写しであり、誇張の可能性が高いとする説もある[4]。
近代になると、ロンドンのやパリのがこの語に注目し、便長と食生活、さらに都市の舗装技術との相関を調査した。研究の過程で、実際には腸内の水分保持よりも、布製下着の折り返し構造や公共便所の勾配が長さの印象を増幅したとの指摘があり、現在では「実測値」と「目撃証言」の乖離そのものが研究対象となっている。
古代[編集]
メソポタミアの粘土板伝承[編集]
最古級の伝承は、の神殿会計帳簿に付された余白注記であるとされる。そこでは、供物の大麦粥を大量に摂取した書記官が、礼拝後に「三尺八寸に及ぶ連なり」を生じさせたため、寺院の掃除当番が半日停止したという。なお、同帳簿に記された長さは神官ごとの腕尺で測定されており、現代換算では約1.4メートル前後と推定されている[5]。
期には、これを疫病ではなく「良い腸運」とみなす考えが一部で広まり、の薬種商が干しイチジクと発酵乳の混合を推奨した。これにより、長いうんちはしばしば市場の景気回復の兆候として扱われたが、同時に清掃費が増大し、商人組合との軋轢も生じた。
地中海世界への伝播[編集]
の航海民は、長尺便を「航海前の不要物の一括放出」と解釈し、港では出航前に麦酒を薄めた粥を飲む慣習があったとされる。これは排泄の持続性を高め、航海中の便所回数を減らす実利的な工夫であったという。
の周辺では、解剖学者の弟子筋が「便の長さは魂の執着の長さを示す」と唱えたため、宗教的象徴としても用いられた。だが、同学派の記録の多くはの書庫焼失で失われ、残ったのは後世の要約のみである。
中世[編集]
イスラーム圏の衛生学[編集]
のでは、門下の自然観察者たちが、長いうんちを食養生の副産物として記述した。とくに「夜食に蜂蜜菓子を三度重ねると、翌朝に長さが増す」とする説が写本に残るが、これは後世に付された欄外註である可能性がある[6]。
ではの公衆浴場が便通管理の場として機能し、湯上がりの患者に亜麻仁油を処方する慣行が広がった。これが「長尺便を予防する技法」である一方、巡礼者の間では逆に「旅の安全を占う兆し」として珍重された。
ヨーロッパ修道院の記録[編集]
の修道院では、沈黙戒律の例外として排泄後の告白が認められており、長いうんちはしばしば懺悔の対象となった。フランス北部の写本には、ある修道士が断食明けに「ロープ状の排泄」を生じ、鐘楼の綱と誤認された逸話が残る。
また、のでは、長いうんちを見た農民が豊作を祈願する風習があったとされる。これは実際には糞を肥料とみなす農村文化の誇張であるが、後世の年代記作者は「長さが冬の長さを断ち切る」と詩的に表現した。
近世[編集]
東アジアでの制度化[編集]
江戸時代の日本では、町奉行所が火事場見回りの副業として便所周辺の清掃記録を取っていたとされ、その中に「尋常ならざる長便」の報告が含まれていた。とりわけ大阪の商家では、こんにゃく・米糠・味噌汁を組み合わせた朝食が長尺化を招くと信じられ、番頭が帳簿に「便益」として書き込んだ例がある[7]。
清のでは、海上交易に伴う食材の多様化により便の長さが増したとされ、外国商館の医師たちが「長さは文明化の副作用」と記録した。だが、同時期の中国側文献では逆に「南洋の甘味が腸を伸ばす」と説明されており、見解は一致しない。
オスマン帝国の分類学[編集]
の宮廷医は、長いうんちを全六種に分類し、最長型を「スルタン・タイプ」と名付けた。これは宮廷料理の多層性を示す隠喩とも解釈されているが、実際には厨房の配膳順を比喩化しただけだという説もある。
同時期、の記録係は、夏季の長いうんちが特に香辛料の多い食事と関連することを発見し、税務当局へ「香辛料税の増収は腸管に反映される」と報告した。この報告書は現存せず、の転写で初めて知られるようになった。
近代[編集]
衛生学と博覧会[編集]
のでは、衛生展示の一角に「腸長と都市化」の統計板が置かれ、来場者は流域の農民とロンドンの工場労働者を比較したとされる。ここで初めて、長いうんちは個人の奇行ではなく、労働時間と食糧配給の関数として論じられた。
ドイツ帝国の公衆衛生学者は、長いうんちが線路敷設労働者に多いことを報告し、その原因を「朝食の黒パンと移動時間の長さ」に求めた。もっとも、彼の調査票には誤って馬車便の記録が混入しており、後年の再分析では結論の一部が揺らいでいる[8]。
統計化と大衆化[編集]
初頭には、アメリカ合衆国の保険会社が「便長指数」を導入し、保険料算定の参考項目にしようとした。これに対しの医師会は強く反発したが、新聞各紙は面白半分で取り上げ、結果として長いうんちは都市伝説から半ば準公的な指標へと変質した。
また、のでは、移民地区の共同住宅で長いうんちの目撃証言が相次ぎ、住民の多国籍な食文化が原因とされた。実際には水洗設備の故障が重なっただけであったが、この誤解が「食文化と排泄の帝国史」という奇妙な研究分野を生んだ。
現代[編集]
比較奇談学への編入[編集]
第二次世界大戦後、長いうんちは真面目な衛生学から外れ、、、の境界領域へ移行した。東京のではに「長尺排泄物資料室」が設けられ、新聞切り抜き、医療メモ、子どもの落書きまで収集されたという。
1974年にはのが、便の長さを測る物差しの目盛りが時代によって異なることを指摘し、古記録の多くが誇張されていた可能性を示した。これにより研究は沈静化したが、一方で「誇張こそが共同体の記憶を保存する」とする立場も根強く残っている。
インターネット時代の再解釈[編集]
以降、長いうんちは動画共有サイトや掲示板で再発見され、都市伝説として再流通した。とくにの名古屋市で投稿された「長さ87センチの証言写真」は拡散したが、後に画面上の定規が実際は棚板であることが判明した。
それでも、現代の研究者はこれを単なる捏造とは見なしていない。大量消費社会における食事量、ストレス、そして自己演出が複合した結果として、長いうんちは「身体が語る歴史のメタファー」であると再評価されている。
研究史・評価[編集]
研究史上、最も重要なのはの『便の長さと帝国の持続』であるとされる。同書はにで口頭発表され、のちに改稿版が刊行されたが、図版の多くが著者本人の記憶に依拠していたため、厳密な史料批判には耐えないとされる[9]。
一方で、はの論文で、長いうんちは文明の発達段階ではなく「都市の沈黙を測る尺度」であると論じた。これは比喩的すぎるとして当時は軽視されたが、近年の身体史研究では再評価が進んでいる。
批判としては、史料の多くが「見た」と「測った」の区別を欠く点、また研究者がしばしば自らの食習慣を隠している点が挙げられる。ただし、そうした恥の文化を含めて史料であるという立場もあり、現在も要出典のまま残されている箇所が複数ある。
脚注[編集]
[1] N. al-Surri, “On Linear Excretion in River Cities,” Journal of Ancient Hygiene, Vol. 12, No. 3, 1968, pp. 41-58. [2] E. C. Morton, 『The Long Trail: Comparative Studies of Extraordinary Stool Length』, Cambridge Hygienic Press, 1980. [3] 渡辺精一郎『便の帝国史』衛生史研究会, 1994年, pp. 15-39. [4] H. S. Bell, “Marginal Notes and the Problem of Exaggeration in Mesopotamian Sanitation Texts,” Proceedings of the Royal Philological Society, Vol. 88, No. 2, 1972, pp. 201-219. [5] 岡田久美子『ニップル神殿会計と食餌記録』東方古文書出版, 2001年, pp. 88-95. [6] M. Ilyas, “Honey, Porridge, and Morning Length: A Reassessment,” Al-Baṣra Review of Medical Antiquities, Vol. 7, No. 1, 1987, pp. 3-27. [7] 佐伯利男『江戸の町と便所行政』関東出版, 2010年, pp. 122-141. [8] K. Heine, “Railway Labor and Bowel Metrics in the German Empire,” Zeitschrift für Körpergeschichte, Vol. 4, No. 4, 1908, pp. 511-533. [9] Nadir Bek, 『帝国の腸管』第2版, Boğaziçi Historical Monographs, 1958年, pp. 1-212. [10] E. Sutherland, “Measuring What Was Never Meant to Be Measured,” London School of Social Anatomy Papers, No. 14, 1974, pp. 66-80.
脚注
- ^ N. al-Surri, “On Linear Excretion in River Cities,” Journal of Ancient Hygiene, Vol. 12, No. 3, 1968, pp. 41-58.
- ^ E. C. Morton, 『The Long Trail: Comparative Studies of Extraordinary Stool Length』, Cambridge Hygienic Press, 1980.
- ^ 渡辺精一郎『便の帝国史』衛生史研究会, 1994年, pp. 15-39.
- ^ H. S. Bell, “Marginal Notes and the Problem of Exaggeration in Mesopotamian Sanitation Texts,” Proceedings of the Royal Philological Society, Vol. 88, No. 2, 1972, pp. 201-219.
- ^ 岡田久美子『ニップル神殿会計と食餌記録』東方古文書出版, 2001年, pp. 88-95.
- ^ M. Ilyas, “Honey, Porridge, and Morning Length: A Reassessment,” Al-Baṣra Review of Medical Antiquities, Vol. 7, No. 1, 1987, pp. 3-27.
- ^ 佐伯利男『江戸の町と便所行政』関東出版, 2010年, pp. 122-141.
- ^ K. Heine, “Railway Labor and Bowel Metrics in the German Empire,” Zeitschrift für Körpergeschichte, Vol. 4, No. 4, 1908, pp. 511-533.
- ^ Nadir Bek, 『帝国の腸管』第2版, Boğaziçi Historical Monographs, 1958年, pp. 1-212.
- ^ E. Sutherland, “Measuring What Was Never Meant to Be Measured,” London School of Social Anatomy Papers, No. 14, 1974, pp. 66-80.
外部リンク
- 国際長尺排泄史学会
- メソポタミア衛生史アーカイブ
- 比較奇談学データベース
- 王立便長研究所
- 都市伝説と身体文化の博物館