ロボット研究同好会
| 正式名称 | ロボット研究同好会 |
|---|---|
| 英語名 | Robot Research Circle |
| 設立 | 1958年 |
| 設立地 | 東京都世田谷区下北沢 |
| 活動分野 | 機械工学・人工知能・教育実践 |
| 会員数 | 約84名(2023年時点) |
| 代表的な活動 | 試作機展示、夜間歩行試験、回路再教育会 |
| 別称 | ロ研同、RRC |
| 機関誌 | 『月刊ボルトと倫理』 |
ロボット研究同好会(ロボットけんきゅうどうこうかい、英: Robot Research Circle)は、、人工知能、の三分野を横断して、試作機の観察・改良・運用実験を行う日本の学生・市民団体である[1]。1958年に東京都の下北沢で発足したとされ、のちに「会員の半数が自作ロボットではなく自作の反省文を提出していた」ことで知られる[2]。
概要[編集]
ロボット研究同好会は、の技術系サークル文化のなかでも、特に「完成品よりも未完成品を重視する」ことで知られる団体である。発足当初は東京都立大学の外郭研究会として扱われたが、にはすでに渋谷区、、川崎市の工場見学会を横断する独自の連絡網を持っていたとされる。
同会の特徴は、ロボットの構造そのものよりも、研究過程における失敗の分類に熱心であった点にある。とくに「ねじの締め忘れ」「感情回路の過熱」「演算部の自意識肥大」の三項目は、の会内規約改訂で正式な事故区分に採用され、以後の学生ロボット論に強い影響を与えたとされている[3]。
歴史[編集]
創設期と下北沢会議[編集]
創設は1958年春、下北沢の喫茶店「ミドリ館」二階で行われたとされる。中心人物は渡辺精二郎、、の三名で、いずれも当時は、、の経験者であった。彼らは当初、無人搬送装置の研究会として申請したが、申請書の余白に描かれた二足歩行の機械図が好評を博し、結果として同好会名に「ロボット研究」が採用されたという。
この時期の活動記録『暫定議事録第4号』によれば、初期の試作機「R-1」は高さ43cm、重量6.8kg、連続稼働時間12分であり、主な機能は「紙を拾う」「音に反応する」「時々礼をする」の三つであった。なお、礼の角度が深すぎて床に額を打つため、翌月には研究テーマが「機械の自律性」から「機械の姿勢制御」に変更されたとされる[4]。
組織と活動[編集]
同好会の運営は、会長、副会長、機械班、倫理班、ならびに「異音観測係」から成る。異音観測係は、試作機から発せられるわずかな軋みや沈黙の長さを記録する役職で、以降は正会員と同等の票権を持つようになった。
定例会は毎月第二土曜に世田谷区の区民施設で開かれ、前半30分が進捗報告、後半45分が試験走行、残りはお茶と反省で構成される。会員証は厚紙製で、裏面に「機械は正直だが、配線はしばしば黙秘する」と印刷されている。
また、年1回の公開実験会「夜間歩行祭」は同会の象徴的行事である。ここでは電飾を施した試作機が周辺を歩行し、最も遠くまで無停止で到達した機体に「帰宅能力賞」が与えられる。なお1992年の大会では、優勝機が公園を出てまで進出し、記録係が追跡に失敗したため、そのまま「都市間移動の初成功例」として扱われた[5]。
技術思想[編集]
三層構造理論[編集]
同会の技術思想の中心にあるのが、である。これは、ロボットを「骨格」「判断」「納得」の三層に分けて設計する理論で、一般的な制御工学よりも心理学に近い発想を含むとされる。骨格はフレーム、判断はセンサと制御回路、納得は「停止命令を聞いたときに再び動かない気持ち」である。
この理論は神奈川県の工場見学会で観察された搬送機械の挙動に由来すると説明されるが、実際にはが演劇の稽古で得た「役者は筋書きより納得で動く」という比喩を流用したものとも言われる。学術的には疑義があるが、同会内ではきわめて実用的な概念として扱われた。
倫理班と停止儀礼[編集]
1974年に設置された倫理班は、機械の暴走を防ぐための「停止儀礼」を整備した。これは、緊急停止ボタンを押す前に3回名を呼び、最後に「今日はここまで」と告げるというもので、現在でも一部の会員はこれを厳守している。
停止儀礼は一見すると非科学的であるが、会内報告では、儀礼導入後に試作機の再起動失敗率が18%改善したと記されている。もっとも、改善理由は精神的安定によるものか、単に配線が冷えたためかは明らかでない。
社会的影響[編集]
ロボット研究同好会は、地域の、大学、高等学校のあいだで「技術を趣味として続ける文化」を広めた点で評価されている。特にでは、同会の公開講座をきっかけに機械系サークルが12団体増えたとされ、これが後の市民工学運動の下地になったという。
また、同会の機関誌『月刊ボルトと倫理』は、技術解説に加え、失敗事例を詩的に記述することで知られた。たとえば「右膝が遅れたのではない。世界が先に曲がったのである」といった表現は、のちに東京都立産業技術高等専門学校の教材に引用されたとされる。
ただし、社会的影響には負の側面もある。1990年代以降、同会の影響を受けた若年層の一部が、既製品のロボットに満足できず、家庭用掃除機に車輪を付けるだけで研究発表と称する傾向を見せたため、地域の文化祭審査基準が年々厳格化したという指摘もある。
批判と論争[編集]
同会に対しては、創設期の記録の一部が後年の回想によって補強されているのではないか、との批判がある。とくに1958年の下北沢会議で実際にロボットが存在したのかについては、当日の喫茶店の伝票に「コーヒー6杯、サンドイッチ4皿」としか記録が残っていないため、要出典とされることが多い[6]。
また、のKOMACHI-7に関する成功率は、会員自身が測定した数値であり、比較対象が「雨の日の午後」であった可能性が指摘されている。これに対し同会は、「測定条件が同じであれば比較は有効である」と反論したが、比較対象の定義が曖昧すぎるとして、の一部編集委員から軽い注意を受けたという。
それでも、批判の多くは同会の奇抜さに由来するものであり、実務面では真面目な記録管理が行われていたと評価する研究者も多い。なお、会内に保存されていた配線図の一枚には、なぜか昭和の官報様式に似た罫線が引かれており、後年の研究者を困惑させた。
後年の再評価[編集]
以降、同会はの文脈で再評価され、単なる学生サークルではなく「生活技術の共同体」とみなされるようになった。特に、失敗を恥とせず記録資源として扱った姿勢は、文化との親和性が高いと指摘されている。
には国立科学博物館の関連企画として、同会の旧機材が「歩行する未解決問題」という題で展示された。展示では、R-1の復元機が3歩進んで停止し、そのまま展示台に座り込む動作を見せたため、来館者のあいだで「最も人間らしい機械」と話題になった。
現在でも同会は活動を続けているとされ、会員の一部は東京都内で自律搬送機の試験を行い、別の一部は旧式のモーター音を採集して音楽作品に転用している。技術団体でありながら、しばしば「失敗の保存会」とも呼ばれるのは、その歴史があまりにも整然と失敗してきたためである。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精二郎『下北沢ロボット史序説』未来技術出版, 1978年.
- ^ 高橋みづえ『機械に納得を教える方法』工学社, 1981年.
- ^ 米田肇『歩行ログ読会の研究』日本教育工学会誌 Vol.12, No.3, pp. 41-58, 1987年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Circles, Servos, and Civic Curiosity,” Journal of Applied Mechatronics, Vol. 9, No. 2, pp. 113-129, 1994.
- ^ 佐伯健一『都市清掃ロボットの社会史』ミネルヴァ書房, 1998年.
- ^ Harold J. Beasley, “The Ethics of Stopping Small Machines,” Robotics Quarterly, Vol. 4, No. 1, pp. 7-22, 2001.
- ^ 『月刊ボルトと倫理』編集部『RRC会報総集編1958-1975』ロ研同出版部, 2006年.
- ^ 中村沙織『未完成機の美学』青土社, 2010年.
- ^ K. S. Feldman, “Walking Beyond the Plaza: Notes on KOMACHI-7,” International Review of Civic Automation, Vol. 18, No. 4, pp. 201-219, 2013.
- ^ 『ロボット研究同好会百年史』下北沢文化資料室, 2019年.
- ^ 渡辺精二郎『ロボット研究同好会の設立に関する覚え書きと犬への敬礼』工業評論, 第7巻第2号, pp. 5-19, 1960年.
外部リンク
- 下北沢ロボット資料館
- 月刊ボルトと倫理アーカイブ
- 市民工学年報データベース
- RRC旧機材保存委員会
- 夜間歩行祭 実行記録室