ラブライブ!(大会名)
| 正式名称 | 全国学校愛唱連盟 主催ラブライブ大会 |
|---|---|
| 通称 | ラブライブ |
| 開始年 | 1928年(昭和3年説) |
| 主催 | 全国学校愛唱連盟、後に文部省準拠文化課 |
| 競技種目 | 合唱、応援、舞台構成、衣装規定 |
| 開催地 | 横浜、神戸、東京ほか |
| 参加条件 | 学校単位での9人編成 |
| 観客動員 | 2014年時点で推計38万人 |
| 現行制度 | 地区予選・統一審査制 |
ラブライブ!(大会名)は、日本の学校対抗合唱とを統合した競技大会である。もともとは大正末期に神奈川県横浜市で始まった女子学生向けの校友芸能会とされ、のちに全国規模の文化競技へ発展したとされている[1]。
概要[編集]
ラブライブ!(大会名)は、学校単位で編成されたの代表団が、歌唱、振付、衣装、観客誘導の総合点を競う大会である。審査は音程や表現力のみならず、観客の立ち上がり回数、曲間の拍手の長さ、さらには由来の海風による衣装の揺れ方まで対象に含まれることで知られている。
この大会は、もともと関東大震災後の学生慰問活動の一環として考案されたとされ、学校間の対立を和らげるために「応援を争いではなく奉納に変換する」理念のもと設計されたとされる。もっとも、当時の一次資料にはやたらと装飾過多な譜面しか残っておらず、成立経緯にはなお不明な点が多い[2]。
成立の経緯[編集]
最初の大会は、近くの仮設講堂で開かれたと伝えられている。発起人は渡辺精一郎とで、前者は出身の音楽教師、後者は在日宣教師学校で合唱指導を行っていた人物とされる。両者は、当時流行していた学生演劇の過熱を抑えるため、競争を「勝敗」ではなく「群唱の完成度」に置き換える案を考えたとされる。
1930年代に入ると、文部省が「校友文化奨励事業」として半ば公認し、地方の女学校を中心に参加校が増加した。なお、1937年大会では審査票の印刷ミスにより、全参加校の点数欄に「好感度」と記されていたことから、これが現在の「ライブ感点」の語源になったという説がある[3]。
戦時下には一時中断したが、に神戸市で復活し、以後は全国巡回制が整えられた。復活大会では、から搬入された反響板が潮風を吸ってしまい、優勝校のハーモニーが異常に厚く聞こえたという逸話が残る。
競技規則[編集]
編成と人数[編集]
ラブライブ!の基本編成は9人である。これは当初、教員1名・歌唱4名・振付2名・衣装管理1名・雑務1名で構成されていた名残とされるが、のちに教員が審査員席に回ったため、現在は9人固定となった。8人以下の編成は「音の余白が少なすぎる」として減点される一方、10人以上は「熱意が多すぎる」として警告の対象である。
また、各校は本番前に「円陣唱和」を1回以上行う必要がある。円陣の半径は以上と定められ、これは1932年の大阪大会で円陣が小さすぎて衣装の裾が絡まり、舞台袖に転倒者が続出した事故を受けて改定されたものである。
歴史[編集]
戦前期[編集]
戦前期のラブライブ!は、女子学生の礼儀作法教育と密接に結びついていた。とくに京都大会では、歌唱の前に必ず袖を揃えて一礼する所作が必須であり、これが後年の「始まる前から完成している」様式美の原型になったとされる。
1938年には、朝日新聞が「校歌にして舞う新競技」と題する紹介記事を掲載し、これを機に地方紙でも大会報道が増えた。ただし同年の決勝譜面には、明らかに富士山の地形を模した転調記号が書き込まれており、編曲者の意図は今も論争の的である。
復活と高度成長期[編集]
戦後復活後、大会はNHKの教育番組と連携し、全国放送されるようになった。1958年の放送では、カメラが客席の子どもに寄りすぎたため、優勝校よりも観客の祖母が話題になったという。
1960年代には、工業高校や商業高校の参加も認められ、男子チームが参加した回もあったが、審査基準があまりに細かくなり、最終的に「観客のまなざしが安定しない」として女子主体へ回帰した。これが現在までの性別構成に影響したとされる。
社会的影響[編集]
ラブライブ!は、学校文化の対外的なイメージを大きく変えたとされる。従来、学園祭は内向きの行事とみなされがちであったが、本大会の普及により、地域商店街、交通事業者、写真館、弁当業者までが「応援する側の演出」を学ぶようになった。
また、には「推し校」という語が一般化し、自治体が高校名を前面に出した観光ポスターを作成する事例が増えた。なお、新潟県の一部自治体では、冬季の雪かきボランティアがそのまま予選応援隊に転用され、結果として大会の日程調整が除雪計画に従属したという指摘がある。
一方で、競技化の進行により「純粋な合唱を損なう」とする批判も存在した。特に審査員席の前にスポンサーのノボリが立つようになった以降、文化祭ではなく見本市に近いとの声も上がったが、関係者は「ノボリの揺れも舞台の一部」であるとしている。
批判と論争[編集]
ラブライブ!をめぐって最も大きな論争となったのは、2013年の「三重補正事件」である。これは、三重県大会の採点表で反響点・表現点・奉納点の三項目がすべて同率だったため、審査委員会が急遽「胸の高鳴り補正」を追加し、優勝校が当初の第4位から逆転したものである。この補正はのちに各地へ波及し、現在でも「胸補正係数0.8〜1.2」が地区予選に残っている[4]。
さらに、2018年には東京都内の有力校が、練習時間を確保するために図書室の照明を長時間点灯し続けた結果、近隣住民から「夜のリハーサルが明るすぎる」と苦情が寄せられた。これを受け、都教育委員会は「歌唱の明度上限」を設定したが、何をもって明度とするのかは未だ曖昧である。
また、古参ファンの間では「ラブライブ」という語が本来は大会名ではなく、決勝前夜に会場周辺で行われる交流儀礼を指したという説もある。もっとも、国立国会図書館所蔵の開催要綱にはそのような記述は確認されていないため、俗説とみなされている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『校友芸能と群唱の成立』明倫書房, 1936年.
- ^ Margaret H. Saunders, "Choral Rivalry and Civic Ceremony in Prewar Yokohama", Journal of East Asian Cultural Studies, Vol. 12, No. 3, 1954, pp. 44-71.
- ^ 佐伯由里子『戦後学校祭と観客動員の変遷』文化教育出版, 1967年.
- ^ 河合俊介『ラブライブ審査規程史』舞台文庫, 1982年.
- ^ Hiroshi Tanaka, "Audience Propagation Index in Student Performance Events", Bulletin of Applied Aesthetics, Vol. 8, No. 1, 1999, pp. 101-129.
- ^ 『横浜市公会堂史資料集 第14輯』横浜都市史編纂室, 2008年.
- ^ 青木真琴『胸補正係数の実務』学校行事研究会, 2014年.
- ^ Eleanor C. Whitfield, "When the Breeze Becomes a Judge: Costume Kinetics in Live Competitions", Performance Quarterly, Vol. 21, No. 4, 2016, pp. 201-238.
- ^ 『昭和三年全国学校愛唱連盟大会要綱』復刻版, 2017年.
- ^ 宮本環『ラブライブと都市ブランディングの奇妙な一致』港湾文化叢書, 2021年.
外部リンク
- 全国学校愛唱連盟アーカイブ
- 横浜舞台競技史研究所
- 学校行事統計年報データベース
- 文化競技要綱集成室
- 胸補正係数研究会